はじめに
 

 
 私は西暦1965年に生まれた愛媛県松山市の会社員で、写真と馬琴が趣味です。四国遍路は独身の時分に一度、そして2003年の5月から9月にかけて夫婦で回りました。二度とも車で行きました。一度目のときは、まだX字形に四国4県の県庁所在地を結ぶ自動車道が完成していませんでしたから、徳島や高知の札所は向かうだけで一苦労でした。歩いて回る苦労は、想像もつきません。
 
 私は信心深い人間だと言えたものではありませんし、仏教に詳しいわけでもありません。それでも八十八箇所を巡るとき、とても落ち着いた気持ちになります。多くの霊場が緑深い山にあるからかもしれませんし、絶えず次の霊場を目指すという目的に集中しているため日常の雑事を忘れているからかもしれません。また心傷れた者同士が、一つの空間を共有し、同じ行為をしていることによる、安心感かもしれません。
 
 遍路の目的は、人それぞれです。人として必然の哀しみや悩みを抱いて歩き、あるいは車を走らせている。遍路道には、その悲しさや悩みが、堆積しているようにも感じます。哀しみと悩みの河を共に流れている、しみじみとした感覚は、得難いものだと思います。しみじみと弛緩し、再び緊張の日常へと戻る勇気を奮い立たせる。
 
 当「千枚供養」は当初、千枚程度の画像を用意し、紙芝居風に八十八箇所を回る形式のものでした。しかし画像だけでは芸がない、何かオマケになるようなものはないかと、考えるようになりました。そこで江戸時代の遍路との対比を思い付きました。9月の初めごろでしたか、徳島県立図書館に出向き、江戸時代のガイドブック「四国遍礼霊場記」「四国遍礼道指南」を謄写し、電子情報化しました。が、元来が馬琴好き、歴史好きですので、ついつい読み込みに時間をかけてしまいました。電子情報化は9月の半ばごろに、ほぼ出来たのですが、関連資料を探したり読んだりするうちに10月も下旬になってしまいました。馬琴の155回忌である2003年11月6日に合わせて開設する積もりでしたので、当初の計画「紙芝居」まで手が回りませんでした。また、写真も説明を殆どつけることが出来ませんでした。これらは、今後の更新で補足していきます。
 
 なお「四国遍礼霊場記」は、75番から始まっています。60番台から70番台は、通常の順番を前後しながら筆を進めています。「霊場記」ページは、原書の順に従って互いにリンクしています。ただし当サイトの総目次では、「現代版」「四国遍礼道指南」と併記するため、通常の順に並べ替えています。総目次の1番から入った方は、「順」リンクに従うと、65番までしか行けません。66番から88番までは、「四国遍礼霊場記目次」から入り直してください。
 
   馬琴155忌 2003年11月6日
                      伊井 暇幻
 
 
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