四国遍礼道指南増補大成
 
三十六番・青龍寺

 {山の上にあり、堂は南向き}高岡郡。独股山伊舎那院と号する。唐の青龍寺に似ているため、寺号とした。空海が唐で投げた独鈷杵が落ちた場所であるから独股山と呼ぶ。本尊の不動明王像は、空海の作。{秘仏となっている。}堂から四町ほど西に、奥の院がある。
 詠歌「僅かなる泉水に棲める青龍は 仏法守護の誓いとぞ聞く」
 仁井田まで十三里。ただし、井尻まで戻る。横浪までの三里を舟で行ってもよい。{この間、景色がよい。左は牧馬が多い。八坂の中、八浜の中。}歩く場合は、宇佐村の西へ出る。宇佐坂は、灰方とも呼ぶ。香宗村・塩合村・塩合坂【塩間とも書】・出見村。{ここをイズミと呼ぶ。花山院が土佐に流されていたとき、気分が鬱いで都の空が懐かしく、何度か門の外まで出た。このため「いでてみる」から「出見」}花山院が流罪となって来た時、大平に歌を送った。「土佐の海に身は浮き/憂き草の揺られ来て 寄る辺なき身を哀れとぞ見ん{見よ}」。大平は返して「哀れをば いかに仰がん及びなし 身は海の藻隠れに居て」。ついに花山院は土佐で客死した。千光寺に廟がある。出見坂を、立目村とも呼ぶ。立目村。赤熊坂を、今は通らない。海辺を行く。サセブ坂を越え、摺木村・立石坂・堂脇坂・横浪村。これまで八坂坂中八浜浜中。井尻から横浪まで舟に乗ってもよい。この浦には鳴無大明神という立派な宮がある。{国主が造営した。朱色の門で彩瓦を使い、景色もよい。}一条院の歌も残っている。{ある年、一条院が土佐の幡多に来たとき、「名にし負う人の知らぬも理や 浦の内なる鳴無の宮」「名に聞きし土佐の入江の舟違い 乗りてみんとは思わざりしに」と口ずさんだという。}おく浦村。この間の仏坂に自然に出来た石の不動明王がある。神田村・須崎村・安和村。焼坂峠の左手に冷水がある。久礼村には宿を貸す善人がいる。大道の左に町がある。{橘屋平兵衛・小左衛門が宿を貸してくれる。このほか篤志の人が多い。}添蚯蚓坂・床鍋村。影野村には宿を貸す善人がいる。{武兵衛が宿を貸してくれる。}替坂村・六反地村。神有村に標石がある。この間、ちょっとした山越え道がある。後川には引き舟がある。{根々崎村の善六が遍路のために作ったものだ。これを過ぎて}大河が増水しているときは、前にある山に札を納める。そうでないときは、五社まで行く。
                                           
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