四国遍礼霊場記
 
▼無尽山荘厳院地蔵寺(五番)
 

 
 板野郡矢武村にある。この場所を空海が訪れたとき、熊野明神が現れて霊木を授けた。この木で霊像を作り、ここに寺を建てれば、国家に福をもたらすとの空海の願いにかなうと告げた。空海は霊木で高さ一寸八分の地蔵菩薩像を作った。阿波の民が力を合わせたため、間もなく立派な伽藍が出来上がった。僧侶も、そうでない人も多く参詣した。本尊に利益を求めれば、必ず叶えられた。後宇多院の時代に、住持の定宥が夢のお告げによって高さ一尺七寸の地蔵菩薩像を作り、一寸八分の古像を胸に納めた。阿弥陀・薬師の二像も作り、両脇士とした。地蔵と観音は一体のものなので、これは観音・阿弥陀・薬師の熊野三尊に準えたものだろう。定宥は才知も徳も兼ね備え、人格も立派な修行者だった。また、ある夕、熊野権現の神託で、霊薬の処方を教わった。万病に必ず効く、万病円という名の薬だ。処方を書き写して他の場所で作っても、効き目はないという。人々は不思議がっている。この薬は、四百年間伝わっている。
 鎮守の熊野権現社と天照太神社が鎮座している。中門に、高さ五尺ほどの多聞・持国天像がある。運慶の作。本堂の南西に摩尼珠山と呼ばれる小山がある。空海が宝珠を埋めた場所だ。昔は寺があった。礎石が残っている。北東には、清水を湛えた井戸がある。阿伽に用いている。泉福寺なる寺が建っている。住坊は、そこから五六町離れた東にある。
 地蔵寺は昔、いくつかの坊を従えており、三百人の僧侶を擁していた。
 矢武という地名は、寺の本尊・勝軍地蔵にちなむと言われている。堂の前に池があり、弁財天祠を建てている。蓮は濁りに染められず、清い花は露をあざむくばかりだ。芳香が、遠くまで漂っている。
 もとは山院寺号の宸筆額があったが、戦争の間に失われた。残っている宝物は、空海が納めた仏舎利、空海作で高さ四尺八寸の不動像、空海作で源頼朝が所持していた高さ七寸の愛染明王像、恵心作で高さ一尺三寸の迦羅陀山地蔵像、空海が描いた普賢延命像、同じく空海筆の不動明王像、大小とも空海の筆になる五大尊、大師が描いた三宝荒神、
 行基作の地像像、小野篁が描いた大きな釈迦像、涅槃像(大幅非伝子)もある。このほか、牧渓・雪舟・金岡・増吽の筆になる仏画が多くある。
                          
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