四国遍礼霊場記
 
▼母養山恩山寺宝樹院(十八番)
 

 
 勝浦郡田野村にある。聖武天皇の詔勅によって、行基菩薩が建立した。大日山福生院密厳寺と名付けた。七堂が甍を並べ、雲に届くばかりだった。本尊は、行基作の薬師如来像。堂舎は三十二を数え、境内は広く、いくらかの田園や杣を寄進されていた。学問に励む僧侶が多く集まっていた。しかし、さほど長い年月を経ないうち、衰退してしまった。空海が訪れ再興した。母が人生を終える場所だと定め、死後は骨を埋めた。墓を築き、石碑を建てた。これにより、母養山恩山寺と名付けたという。後に源頼朝が由来を聞いて感心し、寺を修復した。足利尊氏や阿波守護の細川氏が相次いで崇敬した。三好氏と土佐の勢力が戦ったとき、堂宇も宝物も焼失してしまった。戦争が治まった後、以前の二割程度まで復旧した。蜂須賀小六の息子で阿波領主初代の家政・蓬菴が、旧来の姿に復し若干の寄進をして、儀礼を復活させた。その後、火災に遭い、近頃、太守が本堂を造営したという。
 立江寺に向かう途中に、つるまき坂がある。下ると、黒藪と呼ばれる場所に出る。空海が生まれたとき、おむつを納めたと伝えられている。
                       
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