四国遍礼霊場記
 
▼橋池山地蔵院立江寺(十九番)
 

 
 聖武天皇の建立。縁起が残っているという。昔は八町四方あったらしいが、今では一町半四方となっている。
 本尊の地蔵菩薩像は、聖武天皇が皇子の安産を願って作らせたものだという。子安の尊像と称している。同様のものは各国に多くある。もとは小像であったが、空海が訪れ現在の高さ六尺の本尊を作って安置したという。
 本堂の左に大師堂がある。
 
  付け足し 取星寺、星谷(番外)
 
 立江から三十町ばかり脇の岩脇村に、取星寺はある。大師釣召の星というものが残っている。厨子に入れ、蓮華座の上に安置している。青黒色で玲瓏としており、心惹かれる。
 取星寺から二十町ほど離れた星谷に、星の岩屋がある。三間四方もあろうか。岩窟の口の真ん中あたりに高さ数丈の瀧が懸かっている。霊場らしい。この岩の上に、取星寺の星が落ちたと伝えられている。星石山と呼ばれている。
 落ちた星が石になると、中国では昔から言われていた。早くも左伝に書かれている。儒者の説によれば、天を積気、日月を陰陽の精、星は万物の精だという。北斉の顔之推の著書「顔氏家訓」帰心第十六に「天為積氣、地為積塊、日為陽精、月為陰精、星為萬物之精、儒家所安也。星有墜落、乃為石矣、精若是石、不得有光、性又質重、何所繋屬【天は気の積みたるもの、地は塊の積むもの。日は陽の精、月は陰の精。星は万物の精たり。儒家の安んずる所なり。星の落つることあればすなわち、石となるか。精の、もしこれ石となるや、光あるを得ず。性また質重たり。何所に繋属するものか】」と論じた【勿論、これは古来行われた中国の陰陽五行説を背景にした自然観であり、顔之推の独創ではない】。凡人の憶説は採るに足らない。俗に色々と言われているが、みな間違っている。仏教者の説もないわけではないが、儒者であっても顔之推のように学問に精通している者が真摯に論じた場合、見るべき所が多い。
 星谷を後にして坂本村へ。この村には霜が降らないといわれている。昔、空海が泊まったとき、夜になって酷く霜が降った。里人が我慢できないほどに辛がって憂えていると聞いた空海が加持し、霜を降らせないようにした。隣村には、ひどく霜が降る。人々は不思議なことだと言っている。
 
▼月頂山慈眼寺(番外)
 

 
 鶴林寺の奥の院ともいう。岸壁を攀じ登れば、雲が足の下から生じるほどの高峯だ。本堂には、空海作の十一面観音像を安置している。不動明王像は、覚鑁上人の作。
 千尺もの険しい岩の中腹に、一丈ほどの木製卒塔婆がある。空海が立てたものだという。中国の伝説的な発明家・魯般が作ったという万能の攻城具・雲梯でもなければ、辿り着くことができないような場所だ。人々は不思議がっている。
 山の傍らに岩窟があって、松明を灯して入っても暗い。とても狭く、先達に従って身を捩りながら十間ほど入ると、曼荼羅・諸仏・菩薩・龍・天幡・花鬘などの形が岩肌に現れていた。奇怪なことだ。実際に行って見た人でなければ、その様子は想像もつかないという。
 瀧がある。落差二十余丈で、灌頂の瀧と称している。晴れの夜明けには火焔が立ち、不動明王が現れる。このため、不動の瀧とも呼ばれている。信心深い人は、必ず不動に逢えるそうだ。富士・白山の御来光を拝むことと同じだという。
 山号を月頂と号する。もとは灌頂山といっていたらしい。八十八カ所の内ではないが、霊境なので載せねばならない。
                      
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