四国遍礼霊場記
 
▼舎心山常住院大龍寺(二十一番)
 

 
 那賀郡にある。空海がまだ出家していないとき、この嶽の霊威を見て攀じ登り、勤操僧正に教わった求聞持法を行った。行は成就し、空から宝剣が壇上に降った。三教指帰序に、谷響きを惜しまず、と書かれているものだ。
 桓武天皇の勅願寺として、阿波国守・藤原朝臣文山が勅命を受けて建立した。空海が求聞持法を行ったとき、すでに寺はあったことになる。淳和天皇の時代、寺に寄附したときの勅書が残っているという。その後、代々の天皇・上皇から受け取った綸旨・院宣が数通ある。その中に、この寺を密教根本の聖跡であり自分が帰依している道場である、との表現があるそうだ。そのほか将軍家の御教書も多い。
 阿波の太守は先祖から代々崇敬しており、寺領を寄附し伽藍を修復している。
 本堂の本尊は虚空蔵菩薩像。本堂の左には鎮守祠・宝塔・鐘楼・経蔵、少し高くなっている場所に大師堂。壇の外に堂宇が並んでいる。
 天正十六年十一月、天火のため堂宇は焼失した。豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき、祈願所として六間四方の堂を仮に建てた。この堂が現在の堂舎のもととなっている。
 南北に舎心の嶽が広がっている。断崖絶壁で、頼りない橋が架かっている。不動明王の霊験あらたかな像がある。舎の字は「留まる」ほどの意味で、行き来が難しい場所だから、人の心を留めるからこそ、付いた名前だろう。遊方記などには、捨身と書いて、空海が幼少の頃に飛び降りた善通寺の山と同じく扱っているが、間違いである。
 舎心の嶽から三十町ほど離れた南東の方角に、岩窟がある。半ばから二道に分かれており、一方を龍王の窟と呼ぶ。昔龍神が棲んでいたといい、石面に鱗の形がはっきりと残っている。奥に行くと、清水が豊かに溜まっている。このほかにも霊窟があるというが、記録を見ていないので詳しく分からない。真然僧正の書いた記録が寺に残っているという。
 霊宝は、かなり多い。中でも空海所持と伝わる長さ五尺の錫杖、空海作の瑜祇塔、空海の先蹟などが興味を惹く。
                      
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