四国遍礼霊場記
 
▼医王山無量寿院薬王寺(二十三番)
 

 
 海部郡にある。行基菩薩が霊威を感じて創建した。話を聞いた聖武天皇が、勅願寺にしたという。後に空海が訪れ、伽藍を飾り滞在して、四十二歳の厄を落とすため薬師如来像を作った。かつ永世利益のため堂を建てて安置した。思うに、本尊も堂も、当時と同じ物だろう。日光・月光菩薩、十二神も並んでいる。天長年中、淳和天皇が勅願所とし、若干の田を寄附したという。清和天皇が除厄のため勅使を送って剣を奉納し、錦の戸帳を懸けた。
 塔の本尊は高さ三尺五寸の千手観音像で脇士は二十八部衆。ともに行基の作。恐らく昔の本尊だろうといわれている。本堂の右に鎮守の白山権現社・拝殿がある。空海の御影堂・塔・鐘楼が並んでいる。左には、護摩堂・住吉・愛宕社・釈迦堂がある。前には楼門。ほかに二王門も構えている。左右に坊舎十余。昔は堂宇が雲より高く聳えていたというが、火災に遭って礎石のみを残す建物も多い。文治の頃、後鳥羽院が再興した。
 西に六十余町行くと奥の院がある。奇岩の窟で、空海の作った本尊が安置されている。空海が寺を再興したとき、窟から飛び出し自ら新堂に入ったと伝えられている。聞く人は、みな驚いた。窟を玉厨子山と号する。 薬王寺には、行基菩薩が作った高さ五尺の釈迦如来像がある。昔は領地も四五百石あったという。現在は十五石で、ほかに山林・竹林は免税となっている。寛永十六年、火災で堂宇が灰燼に帰した。どうにか本尊は助かった。太守・光隆は嘆き、堂宇を立派に造営したが、昔あった小宇の再建まで手が回らなかった。
                      
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