四国遍礼霊場記
 
四国遍礼霊場記巻五

土州
室戸山、津寺、西寺、神峯寺、大日寺、国分寺、一宮、五台山付吸江寺、禅師峯寺、高福寺、種間寺、清瀧寺、青龍寺、五社、蹉■【足に陀のツクリ】山  寺山

▼室戸山明星院最御崎寺(二十四番)
 

 
 俗に東寺という。安喜郡にある。空海が求聞持を修めた場所だ。空海自ら書いている所に拠れば、土佐室門の崎で寂然と心に浮かんだとき、明星が口に入り虚空蔵菩薩の光が照らして菩薩の威光を表し、仏法が唯一無二であることを示した。空海が感応した霊地である。空海は弘仁年中に伽藍を整備し、能満虚空蔵の像を彫って安置した。空海が滞在したときの歌「法性の室戸といえど我住めば有為の波風立たぬ日ぞなき」。この和歌は「新勅撰集」に収められている【釈教十・冒頭】。「続後撰」「続古今」和歌集の選者である藤原為家卿自筆の色紙が、寺に残っているらしい。
 空海が修行していたとき、姿を見せた明星を吐き出すと五色の石となった。今も残っている。明星石と呼ばれているものが、そうであるらしい。
 山の麓に光明石というものがある。空海が勤行しているとき、龍鬼が邪魔をした。呪伏して唾を吐くと石に付いて光明を放ちだしたという。
 山の麓に、入口の広さ六七尺の岩窟がある。六七間奥にはいると、高さ二尺ばかりの如意輪観音石像がある。龍宮から上がったものだともいう。巨石で作った厨子がある。中には二金剛を置き、両方の戸には天人をあしらっている。みな浮き彫りだ。実際に見た者にしか、想像も付かないほど玄妙な造化だ。
 東の大きな窟に十七八間入ると、高さは一丈あるいは二三丈ある。広さは二、三間から五、十間。太守が巨石で五社権現祠を建立した。愛満権現と呼ぶ。これは昔、窟の中にいた民を苦しめる毒蛇を、空海が対退治し、跡に祀ったものだ。そのまた東にも窟がある。天照太神の社である。坂の半ばに聞持堂がある。坂より上は女人禁制となっている。
 足摺山とこの嶽を、土佐の二つの岬とする。遙か沖まで突き出ている。特に、この寺は三方を海に囲まれ、山は一方にしかない。座ると波の音が耳に入り続け、空海は、あらゆる現象は因縁の積み重なりによって存在しているとの法理を感じた。今の参詣人も、人を感じ世を感じて、思いに耽る。
 この寺は昔、堂宇は大きく白壁に覆われていた。朱塗りの柱が霞のように駁に見えていた。建仁二年、火災に遭って崩れた石段が土埃に覆われ、人々は心を痛めた。このとき本尊は、大勢の中から飛び出し、林の中に隠れたという。
 俗に食わず芋と呼ばれるものが、この辺にある。奇怪なことがあれば空海に結びつけようとするものが多いが、これも、化物の一つであろう。
                      
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