四国遍礼霊場記
 
▼医王山清瀧寺鏡智院(三十五番)
 

 
 高岡にある。本尊の薬師如来像、日光・月光菩薩・十二神は、行基菩薩の作。秘仏となっている。本堂の左に鎮守社、右に空海の御影堂、傍らに真如親王の墓だと伝えられるものがある。
 高さ五尺ほどの五輪塔が建っている。親王が塔に赴くとき、風の具合が悪く、暫く土佐に滞在した。民家を整えて休んだ。このため、所の土地を、御所の内と呼ぶ。寺に入って親王は、唐から天竺へ遙々向かう心細さを思ったのだろうか、自分の墓を建てたという。羅越国で亡くなった。
 親王は平城天皇の第三子で、高岳親王と称する。嵯峨天皇が皇太子としたが藤原薬子の乱で廃されて出家、東大寺で三論宗を学んだ。生まれつき賢く高邁で、仏教だけでなく儒教も学んだ。真言宗の教えを空海に受けた。朝廷に願って唐に赴き西域にまで行こうと志を立てたが、流沙で客死した。日本から唐へ留学した者は数多いが、天竺を目指した者は、親王一人である。この勇気に昔の人は驚いた。今、ここで親王の墓があると聞くさえ、哀れを催すことだ。

・・・・・・・・真如関連資料・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 澁澤龍彦「高丘親王航海記」にも取り上げられた高僧。戦時中は南方進出の政策と相俟って教科書にも取り上げられた。当時は日本人の起源として南方系民族が注目されたが、事情は同じである。ただし、精確な史料が残っておらず、人口に膾炙しているごとく虎に喰われたのか否かも、分からない。以下、管見に触れたものを以下に掲げる。

【先帝御不和云々。仍先帝兵ヲオコシテ東國ヘ御下向云々。ヨリテ大納言田村麻呂。参議綿丸等ヲツカハシテトドメマイラスル間ニ。太上天皇ノ御方ノ大将軍仲成打取畢。又内侍〔薬子〕ノカミ同死畢。ススメニテ此事アリト云々。上皇御出家ヲハヌ。東宮高丘親王ヲトドメテ大伴皇子ヲ東宮トス。高丘親王出家得度。弘法大師ノ御弟子ニナリタマウ。入唐シテカシコニテ遷化シタマウ。真如親王ト申ハコレナリ。或ハ唐ヨリナヲ天竺ヘワタリタマウ。流沙ニテウセ給トイヘリ。/愚管抄巻一嵯峨天皇十四年】

【真如親王天竺にわたり給ふ事 昔真如親王といふ人いまそかりけり。ならの御門の第三のおん子なり。いまだかしらおろしたまはぬさきには。たかをかの親王とぞ申ける。かざりをおとしたまひてのちは。道詮律師にあひて。三論宗をきはめ。弘法大師にしたがひて真言をならひ給けり。法門ともにおぼつかなきことおほしとて。ついにもろこしにぞわたり給ける。宗叡僧正とともなひ給けるが。宗叡は文殊のすみ給五台山おがまんとてゆき給ふ。親王はものならふべき師をたづね給けるほどに。むかしこのやまとの国の人にて。円載和尚といひし人の唐にとどまりたりけるが。親王のわたり給よしをきヽて。御門に奏したりければ。御門あはれみて。法味和尚といふ人におほせつけられて。学問ありけれど。心にもかなはざりければ。つゐに天竺にぞわたりたまひける。錫杖をつきてあしにまかせてひとりゆく。ことはりにもすぎてわづらひおほし。さてやうやうすヽみゆくほどに。つゐに虎にゆきあひて。むなしくいのちおはりぬとなん。このことは親王の伝にも見へ侍らねば。しるしいれぬるなるべし。昔のかしこき人々の。天竺にわたり給へる事をしるせるふみにも。大唐新羅の人々はかずあまたみへ侍れど。この国の人はひとりもみえざんめるに。この親王のおもひたち給けん心のほど。いといとあはれにかしこく侍り。昔はやすみしるまうけのすべらぎにて。もヽのつかさにあふがれきといへども。いまは道のほとりのたびのたましゐとして。ひとりいづくにおもむきたまひけんと。返々もあはれに侍り。……中略……わたりたまひけるみちのよういに大かんし三もちたまひけるを。つかれたるすがたしたる人いできてこひければ。とりいでて中にもちいさきをあたへ給けり。この人おなじくはおほきなるをあづからはやといひければ。我はこれにてすゑもかぎらぬみちをゆくべし。汝はこヽのもと人也。さしあたりたるうへをふせぎてはたりぬべしとありければ。この人菩薩の給はざる事なし。汝心ちいさからん人のほどこすものをばうくべからずとて。かきけちうせにけり。親王あやしくて。化人の出来てわがこヽろをはからひけるにぞと。くやしくあぢきなしと侍る事思いでられて。とにかくにこヽろすずろに侍り。……後略/閑居友巻上第一話】

【前略……去れは此大和の国。奈良の御門の太子。長岡の親王とてゐませしは。すへらきの儲の君にてをはせいか。浮事にあはせ給て後。御かさりをろさせ給て。道詮律師の室に入て。真如親王となん申けれは。智恵徳行ならひなくて。三論宗をもてあそひ給ふのみならす。宗叡僧都の禅林寺閑庵に閉篭ては。鹿薗の谷の水に。見思の垢をすヽき。修円大徳の伝法院にやすみしては。覚知一心の悟を開き。弘法大師に随ては。真言宗をきはめ給へり。かヽる有智高僧の人々も。猶あきたらすやをほしけん。唐に渡り給へりけるか。是には明師もなしとて。天竺に渡り給へり。唐の御門。渡天之心さしを哀みて。さまざま宝をあたへ給へりけるに。それよしなしとて皆々返し参せて。道の用意とて。大柑子を三留給へりけるそ。聞もかなしく侍るめる。さても宗叡帰朝すれとも友なひ給へる親王は見え給はなえは。唐へ生死を。尋給へりけり。返事に渡天すとて師子州にて。村かれる虎の合て。くゐ奉らんとしけるに。我身を惜には非す。我は是仏法のうつは物なり。あやまつ事なかれとて。錫杖にてあはへりけれと。つゐに情なくくゐ奉ると。側になん聞ゆと侍けるに。御門を初まゐらせて。百のつかさ皆袂をしほりにけり。/撰集抄第のうち玄奘三蔵并真如親王渡天事から】

【(元慶五年十月十三日条)无品高丘親王。志深真諦。早出塵区。求法之情。不遠異境。去貞観四年自辞当邦。問道西唐。乗査一去。飛錫无帰。今得在唐僧中■【王に灌のツクリ】申状称。親王先過震旦。欲度流沙。風聞到羅越国。逆旅遷化者。雖薨背之日不記。而審問之来可知焉。親王者平城太上天皇之第三子也。母贈従三位伊勢朝臣継子。正四位下勲四等老人之女也云々。去大同五年廃皇太子。親王帰命覚路。混形沙門。名曰真如。住東大寺。親王機識明敏。学渉内外。聴受領悟。罕見其人。稟受三論宗義於律師道詮。稍通大義。又真言密教究竟秘奥。門弟子之成熟者衆。小乗壹演為上首。詔授伝燈修行賢大法師位。親王心自為。真言宗義。師資相伝。猶有不通。凡在此間。難可質疑況復観電露之遂空。顧形骸之早弃。苦求入唐了悟幽旨。乃至庶幾尋訪天竺。貞観三年上表曰。真如出家以降四十余年。企三菩提。在一道場。竊以。菩薩之道。不必一致。或住戒行。乃禅乃学。而一事未遂。余算稍頽。所願跋渉諸国之山林。渇仰斗藪之勝跡。勅依請。即便下知山陰山陽南海等諸道。所到安置供養。四年奏請。擬入西唐。適可許。乃乗一舶。渡海投唐。彼之道俗。甚見珍敬。親王遍詢衆徳。疑■【得のツクリ】難決。送書律師道詮曰。漢家諸徳多乏論学。歴問有意。无及吾師。至于真言。有足共言焉。親王遂杖錫就路■【一字欠】脚孤行。十五年親王男大和守従四位上在原朝臣善淵。前肥後守従五位上同安貞等上表請。親王入唐後。多歴年序。帰朝之期已過。存亡之分難決。而偏准平常。猶受封邑。静而思之。悚兢難耐。伏望早被返収。将免謗議。■【來に力】。存亡難卜。何許来請焉。親王身殞中途。神馳半月。昔為千乗之皇儲。今作単子之旅魄。彼菩提之求。何必出戸。然厭世心深。甚哉苦行。親王始登震坊。世人号曰蹲居太子。雖見廃非其罪。而理有必至。靡可預防。豈天意乎。豈人事乎。何婬嬖之傷化。而俗諺之如期。書曰。牝鶏之晨。惟家之索。信而有徴歟。/三代実録巻四十陽成天皇】

【真如親王入唐略記(入唐五家伝)伝云。親王帰命覚路。混形沙門。住東大寺。機明敏楽。渉内外真言教。究竟幽玄。貞観四年奏請。擬入西唐。適蒙勅許。乃乗一舶渡唐。高丘親王(平城天皇皇太子。母贈従三位伊勢継子。従四位下勲四等老人母女也)大同四年四月十三日立為太子。弘仁元年九月十三日廃皇太子。出家。貞観三年入唐。法名真如。元慶五年十月。三日自唐申遷化由。到流沙。於羅越国亡云々】
 なお、これに続く「頭陀親王入唐略記」に、貞観三年七月十三日に難波津で乗船、八月九日に太宰府に到着したとある。その間、四週間足らず。遣唐使の標準的な行程をとった場合の日数といえる。なお、遣唐使は難波津を出て、中国地方の瀬戸内海沿岸を航行した。則ち真如には、土佐の横浪付近まで迂回する時間的な余裕はなかったことになる。
 とはいえ、清瀧寺にある真如の墓/塔が無意味に存在しているとは思わない。三十六番・青龍寺の項で道指南は、花山天皇が土佐に流され客死した、と伝える。花山天皇は十七歳で即位、十九歳で妃を亡くし絶望、藤原道長の兄に当たる道兼に唆されて出家する。共に出家すると誓った道兼は姿を眩ました。その間に七歳の一条天皇が即位し、外戚・藤原家の専断体制が成立した。年若い花山天皇の純情に付け込んだ政治劇は、あまりに愚かしい。そして、花山天皇が土佐に流されたことなど、史実にはない。
 例えば日本武尊と弟橘姫、例えば静御前、本当に其の地に来たかあやしいけれども、全国各地に伝承が残っている。悲劇の英雄もしくはヒロインに同情し、慰めようとする人々の優しさが、事実を捏造していったのだろう。事実として認めることは出来ないが、責める気にはなれない。昔の優しき人々の存在をこそ、事実として信じたい。
 結局する所、真如の墓は、真如が清瀧寺へ実際に来たことの証ではなく、真如の悲壮な企てに対する深い同情の証ではないか。両者は厳然と峻別せねばならないが、必ずしも後者の価値を貶めるものではない。却って、価値は高いかもしれない。人間というものの優しさ、権力から排除された者を抱き取ろうとする強さが、昔の人々にはあったことを証明しているように思えるから。
 
 ←逆   順→  ↑四国遍礼道指南  ↓現代  画像サムネイル 
                              
現代目次  総目次  四国遍礼霊場記目次   四国遍礼道指南目次
 
 
 


100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!