四国遍礼霊場記
 
▼菅生山大宝寺大覚院(四十四番)
 

 
 浮穴郡にある。文武天皇の時代、大宝元年四月十八日、一人の猟師が山に入ると、岩や木々が激しく動き、紫雲が峯や谷に満ち、ある場所から閃光が放たれていた。光の本には十一面観音像があった。生えている菅を敷いた上に観音像を置いた。その場所に堂を建て菅で覆って安置した。猟師は白昼、天に昇った。高殿明神と呼んで祀った。菅を敷いたために、菅生山と号し、大宝年中のことだったので大宝寺と称している。朝廷の知るところとなり、天皇の帰依を受け、立派な堂舎が建てられ勅願所となった。本堂は大きく美しく、縁から両方の社の拝殿へ廊下を渡した。左に赤山権現、続いて天神。右は三島大明神、耳戸明神。阿弥陀堂・文殊堂・百々尾権現社が並ぶ。左右とも前に池があり、それぞれ弁財天祠が建っている。石段の下の門には二金剛像を安置している。その下に十王堂がある。左右に寺を構えており、堂舎は十二宇。入ると橋になっている。川を御手洗と呼んでいる。人里から離れてはいないし、牛の声が聞こえてくるわけでもないが、修行に適した閑静な美しい環境で、風が涼しくそよぐ。
 弘仁十三年、空海が訪れたとき、落ち着いて美しい場所であることを喜び、精神を集中して心に仏を思い浮かべる修行を幾日も続けた。立ち去ることを忘れるほどだった。また、山から霊気が立っていると感じ、岩を踏み進んで奥の院を開いた。岩屋寺である。
    
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