四国遍礼霊場記
 
▼仏光山福智院横峯寺(六十番)
 

 
 周布郡にある。石仙菩薩が開いた。彼は外見こそ僧侶であったが、神通力を有していたため、当時の人は石仙と呼んだ。縁起は、弥山・前神と共に、三寺で同一のものだ。縁起は、石鉄/石鎚権現、役行者、石仙について書いている。縁起の記述は、神懸かり且つ奇怪で、とりとめがない。神懸かりであることは凡人が云々評価できるものではないが、書き方が稚拙である点については、書いた者の責任だといえる。神には罪がない。石仙は役行者の再来だとされているが、あり得ることだ。比叡山の光定は伊予の人で、もとは石仙の弟子であったという。
 石仙の評判を聞いた桓武天皇が、勅使を派遣して招聘した。石仙が拒むと、勅使は天皇の所有ではない土地はなく、その土地に住んでいる以上は勅命に従うべきだと詰った。すると石仙は立てた錫杖の上に座った。これは、清和天皇が病気平癒祈願のために招いた勅命を、摂津の勝尾寺六代座主の行巡上人が、修行中は寺から出られないからと断った話に似ている【行巡伝説では天皇が汗の如きはずの綸言を変えて京都に来なくて良いからと寺で祈祷してもらうことにした。行巡は数珠と袈裟を自分の代わりに京へ送った】。行巡の話と同様なら、桓武天皇の代であり、空海と同時代だということになる。考えてみると、石鉄山は役行者の開基なので、恐らく横峯寺も役行者の開基だろう。余りに昔のことなので、確かなことは分からない。
 寺の中心的な神社は蔵王権現を祀っている。本地仏は両手を膝に置き親指と人差し指で輪を作る、上品上生形の阿弥陀如来像だ。三十六王子社および末社が多くある。
 本堂の大日如来像、脇士の持国天は堪慶の作。同じく脇士の多聞天は運慶の作。右の厨子には如意輪観音像、左の厨子には空海像が納められており、共に空海作。
 二王門には高さ六尺余の執金剛神像を安置している。

 寺の霊宝は、上品上生と書いている空海直筆の額、石仙が書いたという仏光山の額、詳しいことは分からないが空から降ってきた一尺余りの独鈷石。
 二町ほど登ると、鉄の鳥居が建っている。弥山の拝所だという。弥山までは九里。ここから北を望めば、青い海が遙かに見える。波に島々が浮かんでいる。中国地方の山がいくらか目に入る。まるで絵画を見ているような美しさだ。
 寺領が若干ある。四方の境には札が立っている。
 石鉄の鉄は鉞を意味する。「おの」とは読むが、「つち」と読ませる理由が分からない。愚かだから、鉄の字を使ってしまったのか。縁起には、石土とも書いている。石土については、前神寺の記事で触れる。
                         
 ←逆   順→  ↑四国遍礼道指南  ↓現代  画像サムネイル             
 
現代目次  総目次  四国遍礼霊場記目次   四国遍礼道指南目次
 
 
 


100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!