四国遍礼霊場記
 
▼琴弾八幡宮(六十八番)
 

 
 文武天皇の時代、大宝三年に八幡神が宇佐神宮から移ってきたという。三日にわたって西の空が鳴動し、黒雲に覆われ太陽も月も光を失った。住民たちは何事が起こったのかと、怪しみ合った。そうこうするところ、西の空から白く藻が虹のように立ち上がり、この山に架かった。山の麓、梅脇の浜に一艘の怪しい船が近付いてきた。中から琴の音がした。妙なる調べが、山の松の間を擦り抜けた。当時、山には日証という上人が住み着いていた。上人は船に近付き、どのような神人が乗っているのか、なぜにここに来たのかを問うた。船に乗る人は、自分は八幡神であり、都の近くで国を守護しようと考えて、宇佐から来たと答え、ここが霊地であるため留まると言った。上人は、凡夫は言葉だけでは信じられないから奇蹟を起こすよう八幡神に願った。その夜のうちに、海の十余町が竹林に、浜の十歩余が松林に変わった。驚かぬ人はいなかった。上人は呼びかけて、まだ無垢な十二三歳の少年数百人を集め、元は海であった竹の谷から山上へと、船を引き上げた。祭りをして、琴弾別宮とした。琴と船は、現在でも社殿の中にある。数回、霊異を起こした。この船は、神功皇后が朝鮮半島を攻めたときに用いたものだった。二所宗廟と呼ばれ、伊勢神宮と共に天皇家が篤い八幡は、神功皇后・応神天皇の神話と関わるため特に外敵征伐の神とされている。そのため、この宮はユーラシア大陸/朝鮮半島のある西に対している。北には神功皇后の腹心であった武内宿祢、南には神功皇后朝鮮出兵時に出現した住吉明神を祀っている。下方には若宮、傍らには鐘楼がある。社殿へと登る石段の両脇に七十五神を祀る祠が並んでいる。このうち、青丹大明神を最上位に置いている。
 山は岩がちで三方を海に囲まれている。険しく人を寄せ付けないさまは、霊仙が岩屋に住んでいたからだろう。中腹に山門を置き、麓に鳥居を建てている。近年、勅額を受けた。縁起は中納言実秋の直筆。将軍直々の命令書もある。道範阿闍梨が参詣し次の歌を詠んだ。「松風に昔の調べ通ひ来て 今に跡ある琴弾の山」。
               
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