四国遍礼霊場記
 
▼七宝山観音寺(六十九番)
 

 
 唐への留学を終えた空海が、琴弾神社に参詣し無事に帰朝した喜びの儀式を行ったとき、神の啓示によって、この地を開いて寺を建立した。僧侶を常駐させ、琴弾にいます八幡神に仏の教えを及ぼし続けようと考えたのだ。
 空海は高堂を建て自ら観音像を作って安置し、観音寺と名付けた。高さ一丈六尺の薬師像を彫って、金堂に安置した。脇に四天王像を添えた。弥勒堂・宝塔・愛染明王堂が所狭しと並んでいる。石塔四十九基が並んでいるが、恐らく弥勒菩薩が修行を続け、そこに往生すれば五十六億七千万年後の弥勒成仏の折に、現世に立ち帰り最初の説法を聞くことができるという、都率天【兜率天】を巡る四十九重の摩尼光を表現しているのだろう【ただし、当寺の本尊は、十二の本願と四十九の功徳をもつと語られる薬師如来である】。
 また、空海が国家鎮護のため七種の珍宝を山に納めた故に、七宝山と称するという。山容は八葉を象り、九所の秘穴があって、全体として金剛・胎蔵両界が融合した象徴の配置がなされていると、縁起には書いてある。現在、境内の建物は七つ。
              
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