四国遍礼霊場記
 
▼我拝師山曼荼羅寺延命院(七十二番)
 

 
 善通寺が落成した後、空海が建立し自作の七仏薬師を金堂に安置した。壮麗な建築が目を奪い、仏教談義に明け暮れる僧侶たちが犇めいていた。元杲、仁海、成尊らの高僧が住み、深遠な教理を称揚した名刹であった。戦国期まで度々兵火に曝され廃れ、妖しい生き物の棲処となり果てた。豊臣時代から江戸初期に讃岐一国を治めた大名・生駒氏の家臣・三野某が、寺の退廃を嘆いて三間の仏堂を建て若干の田を寄進した。寺が再建され、どうにか今に続いている。北には険しい山が聳え、他方には豊かな平野が美しい織物のように広がっている。南には五岳が剣のような峰を連ねている。現在の境内は二町四方で緑深く、俗世間の雑事から切り離されている。大日如来を安置する本堂と護摩堂が並び、前には鐘楼、後には鎮守の社がある。
 西行法師が寓居したという水茎の岡は、この寺から三町ばかり西にある。「山里に憂き世厭はむ友もがな」の歌は、ここで詠んだという。寺の庭には、西行笠懸の松があり、関連する歌もあったやに思うが、忘れてしまった。
 この寺には、元杲・仁海・成尊、三人の高僧が住んでいたと伝えられている。【京都山科】小野の寺も曼荼羅寺・延命院などと呼んでいるが、此処と同じである。小野の寺は元々西行院と呼んでいたという。しかし霊場になっているこちらの曼荼羅寺は、空海が建てて以来の号だから、小野の寺の方が号を真似たのだろうか。
           
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