四国遍礼霊場記
 
▼我拝師山出釈迦寺(七十三番)
 

 
 曼荼羅寺の奥の院という。西行は、この寺について次のように書いている。「曼荼羅寺の行道所/奥の院に登る道は手を立てたように急で、まことに骨が折れる(この世の大事)。空海が自筆の経を埋めた峰だ」。俗に、この坂を、世坂と呼んでいる。険しいため、参詣の人は杖を捨て岩に取り付いて登る。南も北も視界を遮るものがなく、一望に見渡せる。空海が観想修行をしていると、白い雲の中に釈迦如来が現れた。空海は釈迦を拝み、我拝師山と名付けた。山家集に拠ると、この辺りの人は「わかはし」と言い習わしている。「わがはいし山」の「山」も捨てて読まない。昔は塔が建っており、西行の時代までは礎石が残っていたという。
 この山は、善通寺五岳の一つだ。西行の時代には既に堂もなかったらしいが、近世、宗善という人が志を立て、麓に寺を建立した。また、この山の一際険しい場所を、捨身の嶽と呼んでいる。幼い頃の空海が、己の修行が成って人々を救うことが出来るか否か試すため、仏に祈って飛び降りた。天人が下ってきて、空海を受け止めた。西行の歌に、「巡り会はん事の契りと頼もしき 厳しき山の誓いみるにも」。
 西行の旧跡・水茎の岡は、曼荼羅寺の縁起に載せられているが、出釈迦寺にある。
          
←逆   順→  ↑四国遍礼道指南  ↓現代  画像サムネイル   

現代目次  総目次  四国遍礼霊場記目次   四国遍礼道指南目次
 
 
 


100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!