四国遍礼霊場記
 
▼鶏足山金倉寺宝蔵院 又道善寺ともいう(七十六番)
 

 
 智証大師の生まれた旧跡だ。父は和気氏の宅成、母は佐伯氏であった。よって智証大師は、空海の親戚に当たる。智証大師は生まれつき聡明で、すでに老成した人のようだった。八歳のとき、仏典に因果経というものがあるだろうから、読んでみたいと父に言った。驚いた父は探し求めて、因果経を与えた。十歳のときに詩経・論語・漢書・文選を読んだ。十五歳で延暦寺座主・義真の弟子となった。後に山王権現の神託により唐へ留学した。日本に帰って三井寺を建て、唐から持ち帰った経典・仏像を納めた【智証大師の描写は「今昔物語巻十一」の「智証大師亘宋伝顕蜜法帰来語第十二」と同じ】。
 金倉寺は、智証大師の父母の荘園だった場所である。両親の菩提を弔い、また自分の生まれた場所を仏教の場として永く伝えたいと思ったのだろう。自筆の遺影も残っている。永暦二年に朝廷が寺に補修を加えたという。唐から伝来した曼荼羅や鐃鉢、十六善神などの宝物が多くある。本堂の本尊は薬師如来像。鎮守の八幡社には拝殿がある。右に鐘楼、山王権現・智証大師の御影堂がある。
 この寺は、空海の遺跡ではない。開基が空海の死後だ。空海が死んだとき、智証大師は漸く二十歳ほどだった。とはいえ、親戚なので空海も此の地に当然、遊んだことだろう。
               
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