四国遍礼霊場記
 
▼桑田山道隆寺明王院(七十七番)
 

 
 元明天皇時代の和気道隆という人にまで、開基は遡る。道隆は日本武尊の後裔だという。道隆の荘園にある桑園で、大きな桑の木が怪異を起こした。その木を伐って薬師如来像を作らせた。小さな堂を建てて薬師像を安置し、朝な夕な供養した。
 延暦末年、道隆の子孫・朝祐の代になっていた。空海と出会って道隆について語り、薬師像を見せた。像が小さいので朝祐は空海に、大きな像を作ってくれと頼んだ。空海は信仰心の篤さに打たれ、高さ二尺五寸の薬師像を作り、胎内に道隆の小像を納めて、永く失われないようにした。朝祐は真言密教に深く帰依し、髪を剃り出家した。荘園も財物も捨てて寺を建て、薬師像を本尊とした。空海を供養して過ごした。境内は四町四方で、本堂・弥勒堂・宝塔・鐘楼・二王門・僧坊などが建ち並び、一大寺となった。弘仁末年に朝祐入道は空海を招き、仏教的な資格を何ら持たないでも受けられる、曼荼羅諸仏と結縁する結縁灌頂を開催した。話を聞いて多くの僧侶や人々が集まり、賑わった。このときには十余の宿泊所を建てて、集まった人を受け入れた。盛んに仏法を普及させたが、時代が変わって、今は衰えてしまっている。伽藍は一宇を残して、礎石だけとなってしまった。とはいえ昔から伝わる宝物が、二三百もあるという。寺の右は五嶽に接し、左には丸亀の険しい山が聳えている。南には葛原、北は海。境内は緑深く、幽玄の境地となっている。
                   
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