四国遍礼霊場記
 
▼白丑山国分寺千手院(八十番)
 

 
 行基菩薩の開基だという。聖武天皇は陰陽の理にかなった姿をしており、幽玄なる哲理や神智に通じていた。霊性あるものを庇護し、仏教への帰依が深かった。天平九年に、諸国に国分寺を建立する詔勅を下した。高さ一丈六尺の釈迦如来像と二菩薩像、そして大般若経を写して諸国分寺に納めた。虎が嘯けば、谷に風が生じる。慶雲は龍に従って湧き上がる。原因があるからこそ結果が生じる。聖武天皇の詔勅で国分寺が建立され、国分寺の建立で仏教が興隆した。ところで国分寺建立のときに当たり、行基は出かけていって畿内に五十の寺を建て、諸国に多くの霊場を開いた。朝廷の仏教普及策に手を貸した。この讃岐国分寺が行基の開基だというのは、そういった事情を反映しているのであろう。
 現在の本堂は、東西九間・南北八間の規模。本尊は空海作で高さ一丈六尺の千手観音。思うに聖武天皇の詔勅では、国分寺の本尊は高さ一丈六尺の釈迦如来像であるはずだ。とはいえ、国分寺の本尊は、必ずしも釈迦如来ではない。当初から薬師を本尊としたものも、あったのではないだろうか。
 薬師堂が東の方にある。鎮守は、春日明神だ。伴社は四十余。
 本堂の東に一本の大きな枯れ木がある。勅木だともいうし、本尊を作った残りの木だともいう。霊異を起こすことが多い。堂の前には蓮池がある。橋を架けており、往来できる。堂から正しく南に二王門があり、この前にも広い池がある。関の池と詠んでいる。蓮が美しく立ち、香りが遠く広がって心惹かれる。観音の永代供養にと国司から与えられたもので、その他の用に使うことは許されない。
 境内は四町四方。松や杉が茂り、堂宇はさほど立派ではない。昔の仏閣は、土佐勢の攻撃によって滅びてしまった。跡だけは、みな残っている。
                       
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