四国遍礼霊場記
▼医王山大窪寺遍照光院(八十八番)
行基菩薩の開基。空海が再興して密教振興の道場とした。本尊の薬師如来座像は高さ三尺で、空海作。阿弥陀堂は、もと如法堂であった。寒川郡の豪族・藤原元正【寒川郡司の家系で天文期あたりの当主に寒川元政がいる。ただし藤原姓ではなく讃岐公姓】が建てたものだ。鎮守権現と弁財天の堂がある。
大師堂を国の守・吉家【未詳】が建立、領地を寄進した。鐘楼には高さ四尺五寸の鐘が下がっている。これらも吉家が寄進したものだ。多宝塔は寛文の初めごろまで残っていたが、倒れてしまった。昔の境内は、四十二宇と門・垣を備えた大伽藍であった。跡だけは、すべて残っている。
奥の院は、本堂から十八町登った所にある岩窟だ。本尊は阿弥陀如来像と観音菩薩像。空海が求聞持修行をしたとき、阿伽水が足りなかったため、独鈷杵を使って岩の根を加持した。清水が迸り出た。この水は、どんな日照りでも涸れることがないという。また空海は生木を卒塔婆に仕立てた。文字も鮮やかに残っていたが、五十年前に野火が入ったため枯れ木となってしまった。本堂から五町東に弁財天像がある。寺の勢いが盛んであった頃、門と門の間が遠く隔たっていたという。東西南北とも十町に及び、今でも境界の印が残っているという。
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