四国遍礼霊場記
投筆賛辞
四州八十八の霊蹤、故(ふる)きを温め今に図す七巻の中
本より短毫の事を焉(いづく)んぞ尽くさんや。山雲竹樹、清風を表す
戊辰九月二十五日書於大雲之南軒
【四国八十八箇所の霊跡について、故事を引き、いま七巻に記した。もとより簡略な記述で、すべてを尽くすことは出来ない。とはいえ、自然が清らかな風を吹かせるように、ありのままに書いた此の本は、偉大な空海を偲ばせるものとなっているはずだ】
余と真念は倶(とも)に四国を巡り、寺々について仮に図を為して帰り、寂本闍梨に相語ると云々。点頭して自らの手で摸して画(えが)く。余が傍らに在りて検証する所、再遊の如し。大坂木屋市郎右衛門、もとより信ありて、四国道指南の彫費を償い、且つ、此の記の成るを随喜す。阿波屋久右衛門と相謀りて、諸同志の助貲を募り梓に寿し、遐方に伝えんとす。
元禄二己巳年二月上澣 小沙弥洪卓謹書
【私と真念は共に四国を巡り、各寺院を絵に写した。高野山に帰って、寂本阿闍梨に報告した。うんうんと頷きながら真念は自分の手で各寺院を模写したのだ。私が傍らから検証したが、絵を見ていると、まるで各寺院を再び訪れているようだった。大坂の木屋市郎右衛門は元来まごころある人で、先だっては四国道指南の出版費用を出してくれた。今度も、霊場記の原稿が出来上がったことを知って大喜びした。阿波屋久右衛門と相談して、同志から出版費用を募ってくれた。この本を広く伝えたいと願ってくれている】
【奉賛者は、各巻同様省略】