四国遍礼霊場記巻四
 
阿州下
 
観音寺     井土寺
恩山寺     立江寺
  附  取星寺   星谷  坂本
慈眼寺     鶴林寺
大瀧寺     平等寺
薬王寺

光耀山千手院観音寺  名東郡
此寺大師ひらき給ふの名藍(めいらん)なり。朱堂(しゆだう)華闕(くわけつ)
軒(のき)をかさね。棟(むね)を比(なら)ぶ。本尊御長(たけ)六尺に作(つく)り。
本堂(だう)に安(あん)す。脇士不動(ふとう)毘沙門(びしやもん)なり。然(しかり)と
いへとも日月乃物(もの)を磨(ま)す。堂舎(しや)廃毀(はいき)し。一宇
なを全(まつた)からず。茆窓(ばうさう)夜(や)月すさましく。人まれ
にして満砌(まんせい)苔花(たいくは)あさやかなり。州(くに)乃太守(しゆ)
光隆(みつたか)公(こう)信義(しんぎ)ありて。遐方(かほう)踵(くびす)を企(くはた)てり。故(かヽるゆへ)に
住持宥雄(ゆふおふ)此廃替(はいたい)を太守(しゆ)に説(とく)。太守早(はや)
く肯(うべな)ひ。万治(まんぢ)年中脩復(しゆふく)せられしとなり▼

今の堂より南乃方半町ほどさりて。むかし
乃大門の跡(あと)あり▼東西には坊舎のありし
跡(あと)おほく見ゆ▼近比(ちかころ)当邑(たうむら)に鈴江(すヽゑ)氏(うち)といふ人
ありて。本尊并に両脇士そこねさせ玉ふを
資財(しざい)を投(なげ)て脩復(しゆふく)荘飾(しやうじき)し奉り聖容(せいよう)莞爾【ヤネに小ヽ】(ぐわんじ)
として威光(いくはう)あらたならしむ

瑠璃山明照寺真福院  名東郡
此寺又は井土寺といふ。里(さと)乃名(な)によると
きこへたり。大師(し)の御建立(こんりう)或(ある)は聖徳太子(しやうとくたいし)
行基(ぎやうぎ)ぼさつともいふ。むかし乃事なれはさだ
かならす。むかしの本尊は。長八九尺なり
けるが。風光(ふうくはう)野霧(やむ)にをかされ。身分(しんふん)そこね
させたまひて。漸(やうやく)くみくしはかりそ残(のこ)り
てあり。いまの本尊大師(し)乃御作(さく)。坐像
五尺なり。両脇士日月光(くはう)及(およ)び四天王あり。
▼鎮守(ちんじゆ)八幡并(ならび)に楠(くす)明神乃社(やしろ)ならべり

此寺むかし盛(さかんなり)し時ハ三町四方乃境内也。
いまに坊舎の跡(あと)十二三所あり▼今乃
門外(くわい)池中に弁才(べんさい)天祠(し)あり相つヽき塔(たう)
やしきあり同所に若宮(わかみや)あり▼今も境(けい)
内壱町余(よ)かこめり。脩(しゆ)竹千竿(かん)の一旧区(きうく)
なり

母養山恩山寺宝樹院  勝浦郡田野村
当寺は聖武(せいむ)天皇(わう)の勅(ちよく)に因(よつ)て行基(きやうぎ)ほさつ造立(ぞうりう)
し。大日山福生院密厳(みつごん)寺と名(なつ)け七堂甍(いらか)を並(なら)
べ雲(くも)に連(つらな)る。本尊(そん)薬師(やくし)行基自(みつか)ら作り玉ふ
僧(そう)坊三十二宇境内(けいだい)廣(ひろ)く田園(てんえん)山林(りん)若干(そこはく)乃寄
附(ふ)あり。行学(ぎやうがく)の人雑沓(ざつとふ)す。いくばくならざるに
時(とき)と移(うつ)り。衰耗(すいこう)に及(およ)ぶ。時(とき)我(わが)大師(し)登臨(とうりん)して再興(さいこう)し
御母(はは)終老(しうらう)乃地とし遂(つい)に御母(はは)の骸骨(かいこつ)を山中に
埋(うつ)み。御墓(はか)を築(きつ)き。石碑(せきひ)を立玉へり。母養(もやう)恩山(おんさん)
乃名(な)是(これ)よりときこゆ。■【ヤネに小ヽ】後(そのヽち)頼朝(よりとも)公(こう)徽烈(れつ)を聞(き)

心を中(つけ)て復立(ふくりう)せり。それより尊氏(たかうし)公(こう)。細川(ほそかわ)相(あい)
続(つい)て信服(しんふく)あり。三好(みよし)氏(うち)土州乃賊党(ぞくとう)相乱(さうらん)の時
堂舎(だうしや)仏像什具(じうぐ)皆(みな)焼失(しやうしつ)す。乱(らん)静(しつま)て旧址(きうし)に就(つく)
堂宇(だうう)を営(いとな)み十か一二を存(ぞん)す其後(のち)蓬菴公(ほうあんこう)諸堂(しよだう)
悉(こと々々)く復起(ふくき)し。供費料(くひれう)そこばくを寄(よせ)。香燭(かうしよく)を礼(れい)せ
しむ。■【ヤネに小ヽ】後(そのヽち)又回禄(くわいろく)乃災(さい)にあへり。近代(きんたい)太守(しゆ)本堂
を営構(ゑいこう)せられしと也▼立(たち)江寺の道(みち)の方をつるま
き坂(さか)といふ。此下にくろ藪(やふ)といふあり。大師(し)御誕生(たんしやう)
乃時(とき)のむつきを此藪(やふ)におさむといひ伝
ふとなり

橋池山地蔵院立江寺
此寺は聖武(せうむ)天皇(わう)乃御建立(こんりう)の一寺なりと。
縁起(ゑんぎ)あるよし。境内(けいだい)むかしは八町四方となん
今にては壱町半四方ほとあり▼本尊地蔵菩
薩是は聖武天皇御子達(こたち)平産(へいさん)乃御願(くわん)にて
作(つく)らせたまふ尊像(ぞんぞう)となり。故(かヽるゆへ)に子安(こやす)の尊
像と号(かう)す。此類(るい)諸州(しう)におほき事なり。
もとは小像なりしを。大師(し)こヽにわたらせ
玉ひて。今乃像六尺に作りて。安置(あんぢ)し玉ふと
いへり▼本堂の左に大師(し)堂あり

  附取星寺  星谷
右立江より参十町はかりわきに。いはわき
村といふに取星(しゆせう)寺あり。此寺に大師(し)釣(ちう)
召(てう)乃星(ほし)といふ物あり。厨子(づし)にいれ。蓮華(れんげ)
座(ざ)に安(あん)す。青黒色(をうこくしき)玲瓏(れいろう)として愛(あい)しつ
べし▼此所より二十町ほと隔(へた)て星(ほし)谷と
いふに。星(ほし)乃岩屋(いわや)あり。三間四方もあり
なん。岩窟(かんくつ)の口半(なかば)斗に数丈(じやう)乃瀧(たき)あり。
殆(ほとんと)霊区(れいく)ときこゆ。此岩上(がんしやう)に取星寺乃
星降(くだ)れりといひ伝へたり。星石山と号す

▼星(ほし)隕(おち)て石となる事。もろこしにもむかし
よりいひ。既(すて)に左伝(さでん)に載(のせ)侍つ儒(じゆ)乃説(せつ)に
天は積気(しやくき)とし。日月ハ陰陽(いんやう)の精(せい)。星ハ万物
乃精といふ。北斉の顔之推(かんしすい)論(ろん)ずる事有(あり)。
凡(ぼん)人の憶説(おくせつ)依拠(ゑこ)にたらずといへり。俗(ぞく)間(くはん)
いろ々々にあやしむ皆あたらす。釈家(しやくけ)の
誇説(くわせつ)もなき事あたはすといへとも。大覚(かく)乃
誠言(じやうごん)は実験(じつけん)おほし▼星(ほし)谷より行(ゆき)て坂本(さかもと)
と云村あり。此一村は霜(しも)ふらずといふ。
むかし大師(し)此所に宿(しゆく)し玉ふ夜霜(よしも)いた

くふり。此里人常に寒苦(かんく)に堪(たへ)かたしと
愁(うれふ)るを大師(し)聞(きこ)しめて加持(かぢ)し玉ひしより。
此里霜を見すとなん。隣(りん)村には殊(こと)に
霜ふかけれは。人奇(き)とせざる事を得(ゑ)す

月頂山慈眼寺
此寺は鶴林寺(くわくりんし)の奥院(おくのいん)といひ伝ふ。峭壁(せうへき)を攀(よぢ)。
雲(くも)足(あし)乃下より生(しやう)す。本堂十一面観音。大師(し)
の作。不動明王は覚鑁(かくばん)上人乃作也▼千尺乃
嶮岩(けんがん)の半腹(ふく)に壱丈はかりの木乃そとはあり
大師(し)乃立(たて)玉ふといふ。魯般(ろはん)が雲梯(てい)の巧(たくみ)にあらす
はなす事あたふべからす。みな人あやしま
すといふ事なし▼此山乃傍(かたはら)に岩窟(かんくつ)あり松
ともし入に。いとくらく。いとせばし。先達(せんだち)の人
に従(したが)ひ身を左(ひたり)みぎになし。はい入事十間斗

曼陀羅(まんだら)諸仏菩薩龍(りう)天幡(はた)華鬘(けまん)天蓋(がい)なと悉(こと々々)く
其形(かた)ちあり。あやしき事。ゆきて見し人
にあらずは。かたりてはかりかたしときこゆ
▼此所に飛流(ひりう)あり。落(をつ)る事二十余(よ)丈灌(くわん)頂
乃瀧(たき)と号(こう)す。天晴(はれ)日移(うつ)る時火焔(くわゑん)たち。此時不
動(どう)明王降臨(かうりん)あり。故(かヽるゆへ)に不動の瀧(たき)ともいふ。信心(しんじん)
の人は正(まさ)しく不動(とう)を拝(はい)すとなり。冨士(ふじ)白(はく)山
の来迎(らいかう)を拝(おか)むといふかことしときこへたり
▼山号(かう)を月頂と云(いふ)は本(もと)灌(くわん)頂山といひけるとかや。
▼此寺礼所の数に非(あらす)といへども。霊(れい)境ニて載(のせ)ざる事を得す

霊鷲山鶴林寺宝珠院  勝浦郡
当山乃啓迪大古(こ)にありと云(いひ)伝ふ。大師(し)霊(れい)
を感(かん)じのほり玉ふ時。瑞(ずい)光相射(あいい)林(りん)中異(い)香薫(くん)
ず。大師(し)心を凝(とヽ)め。眼(まなこ)を着(つけ)。所々を見玉ふに
一古(こ)樹(しゆ)乃上。一鶴(くわく)あり。翅(つばさ)をのへて相覆(おお)へり。
又一鶴(くわく)来(きた)れははしめの一鶴(くわく)さり。かはる々々々に
来り守(まも)れり。大師(し)あやしみ見玉ふに。射(い)る所の
光気(くはうき)も是(これ)より発(はつ)せり。いよ々々窺(うかヽ)ひ玉ふ所。
ちいさき仏像あり。即(すなはち)取(とり)おろし見玉ふに。地蔵
ほさつ乃金像なり。大師(し)永世(ゑいせ)を謀(はか)り玉ひて

其かヽれる木を伐(きり)。長三尺乃地蔵を作り。
彼(かの)金像を納(おさ)め。伽藍(がらん)を立(たて)安置(あんぢ)し玉ひ。鶴林(くわくりん)
寺と名(なづ)け。山勢(せい)天竺(ちく)乃霊鷲山(れうじゆせん)のおもふり
ありとて。霊鷲山(れうじゆせん)を山号(がう)とし。地蔵の所持(しよぢ)三
形(げう)をとりて。宝珠院(ほうしゆいん)と称(しやう)す。凡(およそ)此山畳嶺(てうれい)
翠(みとり)をあつめ。峯(みね)西北にめくり。山足(そく)澗流(かんりう)すヽ【濁点】し
▼堂宇地勢に従(したか)ひ。石階(かい)をたヽみ。霊(れい)木異草(いさう)
茂(も)々春(はる)はミな華(はな)。秋(あき)ハ紅葉(もみち)。有力(りき)の人ありて
夜半(やはん)に吉野(よしの)龍田(たつた)を負(おい)来れるかとあやしむ
とそ聞ゆ▼大師伽藍(からん)草(さう)■【并に刃】(そう)乃時。地をならさ

せ玉ふに大樹(じゆ)乃もとにて。一小鐘(しやう)を得たり形(かた)ち
常(つね)に異(こと)ならすといへとも。華文(くわもん)あやしき事有。
これを納(おさ)めて什宝(じうほう)とす▼むかし山麓(ろく)に一
虞(ぐ/かりひと)あり。常(つね)に此山にのほりて殺生(せつしやう)を事と
せり。ある時猪(い)を見付射(い)けるにはたとあたれり。
相逐(おい)て来れハ堂内へ入けり。血(ち)をつたふに御
厨子(づし)の内へあとあり。あやしみ本尊を拝(はい)する
所。本尊乃御胸(むね)のほど矢(や)あたりてそこねさせ
玉へり。こヽにをいて慙愧(さんぎ)して髪(かみ)を切(きり)発(ほつ)心し
本尊に奉事(ぶし)し身をハれり。二王門乃下に

猟師塚(れうしつか)といふ是なり。本尊大悲代受苦(じゆく)の御願(ぐわん)
にて猪(い)にかはり。矢(や)を受(うけ)玉ふ也。はた彼虞(く)人
乃罪業(ざいごう)をあはれミ。方便(はうべん)にかくあそはしける
にや。不測(ふしき)乃域(いき)しるへからす▼当寺桓武(くわんむ)天
皇御願(くわん)所とし玉ひしより。御代々御信服(しんふく)あそ
はされ。寺領(れう)三千貫充(あて)をこなはれしとなん。綸旨(りんし)
院宣(いんぜん)数通あり▼源頼朝(よりとも)公仏神を崇(あが)め嘉
運(かうん)をひらき。神社(しや)仏閣(かく)を脩(しゆ)造し玉ふに。当寺
乃尊像をきこしめし。心念し玉ふに其夜(よ)忽(たちま)
ち夢(ゆめ)にいりたまふ事ありて。鎌倉(かまくら)に

尊像いたらせ給ひ。朝(てう)公渇仰(かつごう)ありて。金の錫杖(しやくしやう)其
佗宝物をさヽげ。生夷の庄の内にて。御供料(くれう)とし
て。三千貫永(ゑい)代御寄附(きふ)あり。其錫杖(しやくじやう)今猶存す
▼本尊鎌倉(かまくら)より帰り玉ふ時。伊勢(せ)の神官(しんくわん)福
井氏当国にわたらんとするに。暴(を)風俄(にはか)に吹(ふき)狂(きやう)
濤船(ふね)を簸(ひ)。既(すで)に沈没(ちんもつ)せんとす。時此尊示現(じげん)し
玉ひ。速(すみやか)に舟(ふね)小松嶋(まつしま)乃浦(うら)にそ着(つき)。福井氏から
きいのちたすかり。ふかく尊像乃神験(しんけん)を欽(つつし)
む■【ヤネに小ヽ】(しか)しより。毎歳燈明料(とうみやうれう)を捧(さヽ)げ。其こヽ
ろを表すとなり。これにより福氏子孫少名(をさなヽ)

かならす鶴乃字をつくと云
▼六角堂乃六地蔵は大師(し)十八町ふもとより
砂(すな)をとりあげ。一夜に作り玉ふ尊像
なり。砂を取給ふ所を。鶴瀬(つるせ)といひ。今
に此所乃人相つ々しみ。種(しゆ)々の異瑞(いずい)あり
▼鎮守熊野権現(けん)社。是も大師御勧(くわん)請也
往古(はうご)二季ノ祭(さい)礼厳重(げんぢう)なり。山下に御供田(くてん)
掃除(さうじ)田と号(かう)する等(とう)。今に名(な)相残(のこ)りて有。
▼鎮守社乃左に塔(たう)あり。毀廃(きはい)して跡(あと)乃ミ
あり。其前に鶴守神(くわくしゆしん)鐘楼ならべり

▼二王門乃内荒神(くわうじん)并三社是も大師御建(たて)
乃社なり▼本堂の上方に弁(へん)才天(てん)祠(し)
あり御長七寸五分十五童子(とうし)ともに大師作(つく)
り給ふを安す  本坊乃持仏堂本尊。迦
羅陀山(からだせん)地蔵御長壱尺三寸。ひしゆかつま作也
▼護摩堂本尊不動智證(ちしやう)大師御作
▼寺乃南阿伽井あり。大師加持(かち)し玉ひ。清(せい)水
凛然(りんぜん)たり。大師龍神(りうじん)を作り。祠(やしろ)を立(たて)安し玉ふ
▼寺数今七宇(う)あり。霊(れい)尊に奉事(ぶじ)し国家ノ祷
祈(き)怠(おこた)る事なし▼霊宝▼安阿弥作阿弥陀

▼覚鑁(はん)上人乃作愛染(あいぜん)長一尺二寸▼御筆ノ不動
▼御筆の愛染▼覚鑁筆五大尊▼同筆不動
▼涅槃(ねはん)像唐絵(からゑ)大幅(ふく)▼覚鑁(はん)筆十三仏
▼真然(しんぜん)僧正筆御遺告(こゆいこう)▼大師御作五種(しゆ)乃鈴(れい)
此外おほしといへともしげく記せす

舎心(しやしん)山常住(しやうじゆ)院大龍寺  那賀郡
当(たう)寺は大師(し)いまた出家(しゆつけ)し玉ハさりし時(とき)。此嶽(だけ)
乃霊験(れいげん)を御覧(らん)して躋(のほり)攀(よぢ)。勤(ごん)操僧正(そうじやう)に受(うけ)
給ふ求聞持(くもんぢ)の法(ほう)を執行(しゆぎやう)あそばしけるに。
忽(たちま)ち悉地(しちぢ)乃相(さう)あらはれて。空(そら)より宝剣(ほうけん)壇(だん)上
に降(くだ)りけり。三教(がう)指帰(しき)乃序にも。谷(たに)ひヽ【濁点】きを
おしまずとかヽせたまふ是なり▼寺の啓
迪(けいてき)桓武(くわんむ)天皇(わう)乃御願(ぐわん)として。当国(たうごく)の刺史藤
原(ふしはら)の朝臣(あそん)文(ふん)山勅命(ちよくめい)を承(うけ)て営建(ゑいこん)せりと
いへり。然は大師(し)聞持(もんち)執行(しゆきやう)の比(ころ)寺ありし也

淳和(しゆんわ)天皇(わう)の御時(とき)寺領(れう)御寄附(きふ)乃勅書(ちよくしよ)あるよ
し。■【ヤネに小ヽ】(その)後(のち)御代々綸旨(りんし)院宣(いんぜん)数通(すつう)あり。其中(なか)乃
文(もん)とて。密教(みつけう)根(こん)本の聖跡(せいせき)一夫帰依(きゑ)乃霊場(れいじやう)と
ありとなん。其外(ほか)将軍家(しやうぐんけ)の御教書(みけうしよ)おほし
▼国乃太守(たいしゆ)先祖(せんぞ)より代々崇(そう)敬ありて寺領(じりやう)
寄附(きふ)し伽藍(がらん)脩補(しゆほ)せらるとや
▼本堂(ほんだう)本尊(そん)虚空蔵(こくざう)▼左に鎮守(ちんしゆ)宝塔(ほうたう)鐘楼(しゆろう)経(きやう)
蔵。すこし高き所に大師(し)堂あり。壇(だん)乃外(ほか)に
寺中(ちう)相(あい)構(かま)ふ▼天正十六年十一月天火の為(ため)に
堂宇(たうう)焼失(せうしつ)す大閤(かう)秀吉(ひでよし)公(こう)高麗(こうらい)征伐(せいばつ)乃祈

願(きぐわん)として六間(けん)四面乃堂をかりに造立(さうりう)あり
いま乃堂は其規矩(きく)ときこゆ▼南北両(れう)方
に舎心(しやしん)乃嶽(だけ)といふあり。断崖(たんかい)絶冥(せつめい)なり。幽橋(ゆうけう)
をかけて通(つう)ず。不動明(ふどうみやう)王乃霊異(れいい)の尊(そん)像あり
舎(しや)の字(じ)は凝(とヽむ)る乃心にて此所絶(ぜつ)境なるか故(ゆへ)
に人心(こころ)をとヽ【濁点】むるにより。かく名(な)づくといへり
遊方記(ゆうほうき)等(とう)捨身(しやしん)と書(かき)大師(し)御童稚(とうち)の時(とき)善通寺(ぜんつうじ)の
捨身(しやしん)と同事に書(かく)非なり▼是より三十町ほと
辰巳(たつみ)の方にあたり岩窟(がんくつ)あり。なかばより両へ
相わかれ。一方ハ龍王(りうわう)の窟(いわや)といふ。むかし大龍(りう)神(じん)

棲(すめ)る迹(あと)とて石面(せきめん)に鱗形(うろこかた)なと歴然(れきせん)たり奥(おく)に
至(いた)り溜(りう)水澄湛(てうたん)なり。一方の窟(いわや)は不動(ふとう)の窟(いわや)
といふ。此外(ほか)霊窟(れいくつ)ありときこゆ。佗(た)乃記録(きいろく)
を見ざるか故に詳(つまひら)かならず。惣(そう)じて真然(しんぜん)
僧正(そうしやう)乃書(かき)玉ふ当寺(たうじ)の記(き)ありといへり
▼霊宝(れいほう)尤(とも)おほし就中(なかにつきて)大師(し)御所持(しよぢ)といへる錫
杖(しやくじやう)長五尺▼御作乃瑜祇塔(ゆぎたう)▼大師(し)の先蹟(せんせき)
なとありときこゆ

白水山医王(いわう)院平等(ひやうとう)寺
此寺大師(し)乃開基(かいき)。薬師如来(やくしにょらい)御長(たけ)二尺に作り
安置(あんぢ)し。七堂(だう)伽藍(がらん)の所にして僧院(そういん)十二宇(う)
ありしといへとも。世(よ)とをく今衰微(すいび)に
至(いた)れり。堂(だう)の傍(かたはら)に清泉(せいせん)あり。故(かヽるゆへ)に白(はく)水を山号(がう)と
す。泉(せん)乃字(じ)をわけぬるにや。又ハ穢(を)人是(これ)をくめハ
にごるといへり。潔(けつ)白の義(ぎ)ともきこへたり▼正月
十六日會(ゑ)ありて。近郷(きんがう)乃人当寺(たうじ)へ詣参(けいさん)
し。所せきまて市をなせり

医王(いわう)山無量寿(むりやうじゆ)院薬王(やくわう)寺  海部郡
此寺は行基(ぎやうぎ)ぼさつ霊懿(れいい)を見て開闢(かいひやく)し聖
武(む)天皇(わう)きこしめして。勅願(ちよくぐわん)乃寺とし給ふとや
後(のち)我(わか)大師(し)至(いた)り伽藍(からん)を脩飾(しゆじき)し制底(せいてい)を立(たて)。大師(し)
御年(とし)四十二に当(あたり)て除厄(じよやく)の為(ため)に薬師(やくし)如来の像(そう)
を刻彫(こくてう)し。且(かつ)は永世(ゑいせ)乃与抜(よはつ)に擬(ぎ)し。一堂(たう)を立(たて)
安置(あんぢ)し玉ふ蓋(けだし)今(いま)乃本堂(ほんだう)同(おなしく)本尊(ぞん)是(これ)なり。日月
光(くわう)十二神(じん)羅列(られつ)せり▼天長(ちやう)年中淳和(しゆんは)天皇(わう)勅願(ちよくぐわん)
の所とし。田畝(てんほ)そこはく寄附(きふ)し玉ふとなん。其後(そののち)
清和(せいわ)天皇(わう)御穰厄(じやうやく)乃ために勅使(ちよくし)をもて御剣(きよけん)

を奉納(ほうなふ)し錦(にしき)の戸帳(とちやう)をかけ玉へり
▼塔乃本尊千手(せんしゆ)観音(くわんをん)長三尺五寸。脇士(きやうし)二十八部(ふ)
衆(しゆ)皆(みな)行基(ぎやうぎ)の御作なり。蓋(けだし)これいにしへ乃本尊
ときこゆ▼本堂の右に鎮守(ちんしゆ)白(はく)山権現社(こんけんしや)拝殿(はいでん)あり
大師(し)御影(みゑい)ヽ(だう)。塔(たう)鐘楼(しゆろう)相(あい)ならぶ。左に護摩堂(ごまたう)住
吉(すみよし)愛宕(あたご)釈迦堂(しゃかだう)あり。前(まへ)に楼(ろう)門。外(ほか)に二王門を
かまふ。左右(さいふ)に寺家(じげ)十余(よ)宇(う)あり。其いにしへは梵(ぼん)
宇(う)雲(くも)に出(いづ)といへとも回禄(くはいろく)にあひて。礎石(いしずへ)のミ
残(のこ)れる所おほし。文治(ぶんち)乃比(ころ)後鳥羽(ごとば)院(いん)御再興(さいこう)有(あり)。
此所より西の方六十余(よ)町を隔(へだ)て当山の奥院(おくのいん)

なり怪岩(くわいがん)奇窟(きくつ)なり。大師(し)御作乃本尊(そん)ましま
せり。彼(かの)再興(さいこう)の時(とき)窟中(くつちう)より飛出(とびいで)ミつから新(しん)
堂(だう)へ入せ玉へり。聞(きく)人驚(おどろ)きあやしますといふ
事なし。其窟(いわや)を玉厨子(ぎよくづし)山と号(かう)す▼行基(きやうぎ)御
作乃釈迦(しやか)乃像(ぞう)長五尺はかりなるあり▼往昔(むかし)
寺領(りやう)も四五百石ありしといひ伝(つた)ふ今(いま)は高
十五石山林(りん)竹木御免除(めんじよ)となり▼寛永十六

年秋火災(くわさい)ありて。堂舎(しや)灰燼(くわいじん)となり漸(やうやく)本
尊を出(いだ)し奉る。州(くに)乃太守(たいしゆ)光隆(みつたか)公(こう)慨然(がいせん)と
して堂宇を営起(ゑいき)し輪奐(りんくわん)たり。諸(しよ)

小宇(う)はいまた古(いにしへ)に復(ふく)する事あたハす
 此巻彫刻助貲檀主阿州海部沖浦冨田右衛門作▼同所大師
 講十五人▼同脇宮喜兵衛▼同友浦嶋屋久右衛門▼大坂石津町
 念仏講中▼同阿波座淡路屋左兵衛▼二本松町伊勢屋権吉
      
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