四国遍礼霊場記巻七
 
  豫州下
 
太山寺     円明寺
延命寺     光明寺
泰山寺     八幡宮
仙遊寺     国分寺
横峯寺     香園寺
一宮      吉祥寺
里前神寺   三角寺(付仙龍寺)

瀧雲山護持院太山寺  和気郡
当寺天平勝宝年中聖武(む)天皇の御建立(こんりう)なり。本
尊は行基(ぎ)ぼさつ唐土(とうど)より得玉へる十一面(めん)観

音の小像なるを長(たけ)六尺乃尊像を作(つく)り其中
に納められしなり▼本堂の左に孝謙(かうけん)天皇
立(たて)玉ふ石の塔あり。前(まへ)に鎮守(ちんじゆ)五社(しや)明神。石階(かい)の右に
樹流(じゆりう)あり。前に地蔵堂其東に五智(ち)の如来(によらい)。僧(そう)坊は
東に構(かま)ふ。本坊の室前(しつぜん)岩(いわ)をきりとをし飛泉(ひせん)とす。
遊人(ゆふじん)塵(じん)心を洗却(せんきやく)す▼さし入に惣門前に池あり
蓮(はちす)きよくたてり。傍(そは)に弁才(べんさい)天祠(し)あり▼盆(およそ)此境山
高からねど。いと物ふりにたり。山乃めくり
五里八町ありとなり▼(後冷泉(れいせん【れいぜい】)院後三條堀河(ほりかは)院
鳥羽院崇徳院近衛院後白
河法皇御代々各(をの々々)御願(くわん)として十一面観音乃像を作らせ此寺に安置し玉ふ
皆歳月を記らる)【割注】

須賀山正智院円明寺  和気郡和気濱村
此寺は行基(ぎ)ぼさつの草創(さうぞう)弥陀(みだ)を安(あん)じて
円明(ゑんみやう)といふ。弥陀光(くはう)明遍照(へんぜう)乃心となり。大師(し)
中興(こう)して。秘教(ひけう)を称揚(しやうやう)す▼鎮守(ちんじゆ)は市杵嶋(いつくしま)
明神也。二王門の内池(いけの)中乃祠(やしろ)も弁才(べんさい)天なり。
宝鐘(しやう)庭(には)に掛(かけ)たり。声(せい)々年華(くは)を送(をく)り。夢
幻(むげん)を驚回(けうくはい)す。興廃(こうはい)しる所なし。■【イトヘンに釆】霞(さいか)薄煙(はくえん)松
竹乃裏(うら)。地老(をひ)堂閑(しづか)にして夕日微(び)なり

近見山不動院延命寺  縣邑
此寺本尊不動明王行基(ぎ)ぼさつ乃作となん。
佗(た)はきく所なし。四隣(りん)竹林。翠色(すいしよく)雲に
つらなり。盛夏(せいか)蔭(かけ)濃(こまや)かなり▼後(うしろ)乃山の上
に縣(あがた)中の惣鎮守(ちんしゆ)あり

大積山金剛院光明寺  別宮といふ  越智郡
此社(やしろ)は三嶋(しま)明神なり。神(しん)代巻(まき)に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)剣(けん)
をぬき軻遇突智(かぐつち)を斬(きり)て三段(きた)とす。その一きだ
大山積(つみ)の神社となれりと。此神(かみ)伝へいふ。聖武(せいむ)天皇(わう)乃
御宇天平五年顕(あらは)れ玉ふ。伊豆(いづ)の国賀茂(かもの)郡(こほり)
摂津(つの)国(くに)嶋下(しましもの)郡及ひ当郡(ぐん)。をの々々社(やしろ)あり。
共(とも)に一神也。当社より伊豆(いづ)のくにへは移(うつ)り
給ふとなん。治暦(ちりやく)乃比(ころ)州(くに)乃守(かみ)実綱(さねつな)旱(ひでり)をうれ
へ。能因法師(のういんほうし)をして。和歌を詠(ゑい)せしむ。能因(のういん)和(わ)
歌に  天(あま)乃河(かわ)苗代(なはしろ)水にせきくだせ天(あま)下り

ます神ならは神とよみて此社に奉りしに忽(たちま)
ち雨(あめ)ふりしとなり此短冊(たんさく)宝殿(ほうでん)に今(いま)にありと
いへり▼太宰(だざい)乃大弐(に)佐理(さり)。任(にん)やんて。鎮西(ぢんせい)より
還(かへつ)て此州(くに)に至(いたつ)て泊(とま)る。風浪(ふうらう)あしくして。船(ふね)を
出(いだ)す事あたはす。其夜(そのよ)夢(ゆめ)に三嶋(しま)明神告(つげ)て
いはく。我(わか)社(やしろ)乃額(がく)をうけて。明日佐理(さり)書(かき)て是(これ)
を懸(かけ)。風(かぜ)はやくやミ。船(ふね)を出(いた)すと。其(その)額(がく)に日本
惣鎮守(そうちんしゆ)三嶋(しま)大明神とあり▼宮(みや)守を金剛(こんごう)院南
光坊といふ。本尊大通(つう)智勝(ちしやう)仏。すなハち当明神
乃御本地となり

金林山泰山寺
此寺大師(し)乃開基(かいき)ときこゆ。隆弊(りやうへい)しらず。本
尊地蔵菩薩大師(し)の御作なり。茆堂(だう)蕭條(しやうヽヽヽ【濁点】)と
して。樹(じゆ)木おほし。籬落(けらく)山華(くは)を帯(をび)。野風(やふう)
をのづから往来(わうらい)。数家(すけ)乃田邑(てんそん)斜陽(しややう)に対(たい)す

石清水八幡宮
当社鎮座(ちんざ)乃年祀(し)。緬■【シンニョウに貌】(めんはく/はるか)にて彷彿(ほつ)たり。人の
口碑(かうひ)に伝る所。当国今治(はり)乃辰巳(たつみ)方乃海渚(かいしよ)に衣
干(きぬほし)といふあり。是は此神海(かい)中よりあがらせ玉ひ
御衣(ぎよい)乃湿(うろ)へるをほさせ玉ふ所なるの故(ゆへ)に。かく
いふとなん。其後(そのヽち)勝岡(おか)へ移(うつ)り玉ひ。又それより
乾(いぬい)にあたれる山。城南男(しやうなんおとこ)山に似(に)るがゆへに。此(こヽ)に移(うつ)
し奉りて。豫章記(よしやうき)に載(のす)なり。源(みなもと)乃頼義(よりよし)当国
の刺史(しヽ)となり。在国乃間。河野(かはの)親経(ちかつね)と心をあ
ハせ。国中四十九ケの薬師(やくし)堂。八ケ乃八幡宮

を立ツと。当社(たうしや)其(その)随(すい)一也。当山翠微(すいび)に清泉(せいせん)
あり。是(これ)によつて石清水(いわしみづ)と号(かう)し。北に長河(か)めぐれ
り。淀(よど)川に相似(あた)り。山麓(ろく)に弥陀堂を構(かま)ふ。彼(かの)地の
極楽寺に異(こと)ならず。牛王(ごわう)堂。大塔(たう)のあと及ひ
三所に華表(くわひやう)のあと等歴然(れきせん)たり。凡(およそ)城南男(おとこ)山乃
風景(ふうけい)をのつからあり。有力(ゆうりよく)の人夜半(やはん)にこヽに
負(をい)来(きた)るかとおもほゆとなり。祭礼(さいれ)三ケ(か)の神
輿(しんよ)をわたし奉る。四十余町の東濱(とうひん)衣干(きぬほし)に至(いた)る
▼当社其時(そのとき)乃御供領(くうりやう)そこはくあり。能寂(のうじやく)寺の
録(ろく)中に載(の)れりときこゆ。いにしへより能寂(のうしやく)の

僧侶(りよ)当社に奉事(ふじ)し。毎歳(まいさい)の法華会(ほつけゑ)。金剛般若

会(こんがうはんにやゑ)等(とう)其外(ほか)諸(しよ)神事(しんじ)執行(しゆきやう)し。国家(か)泰平(たいへい)。万民(みん)豊
饒(ふねう)乃勝術(じゆつ)に擬(ぎ)す。むかしは其供費(くひ)の料田あり。
いまに契券(けいけん)残(のこ)るとなり▼麓(ふもと)乃弥陀堂の基
趾(きし)に就(つき)て浄寂(じやく)乃比丘(びく)軌幽(きゆう)一堂(たう)を立(たて)。遍礼(へんろ)人
乃寄宿(きしゆく)の所とせり▼当社昔日(むかし)露寝(ろしん)廊
廡(らうぶ)珠(たま)をちりはめ。水晶簾(すいしやうすだれ)垂(たれ)て。日月を入(いる)。中
世鬱攸(うつゆう)の災(さい)にかヽり。一時に煙(ゑん)雲にのほり
ぬとなり▼頼義(よりよし)乃嫡男(ちやくなん)義家(よしいゑ)は八幡大
神に祈(いのり)て生(うめ)るか故に八幡太郎と名(なづ)く頼

義(よりよし)安倍(あべ)乃貞任(さだたう)を征(せい)し。東夷(とうい)を定(しづ)む。此
時相州(さうしう)鎌倉(かまくら)に八幡の社(やしろ)を立。義家(よしいゑ)脩復(しゆふく)
し。頼朝(よりとも)公(こう)明威(めいい)を抗(あぐ)るに至(いたり)て祖宗(そそう)をあがめ。
宮廟【マダレに苗】(きうべう)を改(あらた)め。鶴岡(つるおか)に迂(うつ)し。花構(くはこう)豊敞(ほうしやう)となれり。
皆頼義(よりよし)の遺烈(いれつ)なり▼当社奉事(ぶじ)乃僧(そう)院長
福寺ときこゆ。今は浄寂寺といふとなり
佐礼山千光院仙遊寺
此寺天智(ち)天皇(わう)乃勅願(ちよくくはん)といへり。■【ヤネに小ヽ】(しか)しより
御代々の綸旨(りんし)院宣(いんぜん)御教書(みけうしよ)あまたありと
きこゆ▼本尊長(たけ)六尺千手(しゆ)観(くわん)音なり。八
幡より上る事坂(さか)二十町ばかり。孤峯(こほう)崔
■【山のしたに卒】(さいしゆつ)として。異(い)木おほし。麓(ふもと)は田畑(はた)縡(かんはた)のことく
布(しき)。遠(とを)く滄海(そうかい)を望(のぞ)めは島嶼(とうしよ)波(なみ)に泛(うか)へり。
左(ひたり)は今治(いまはり)乃金城(じやう)峙(そはた)つ。逸景(いつけい)いつれの処(ところ)より
飛来(とびきたる)惟(たヽ)画図(ぐわと)に対(たい)することしとなり

金光山阿国分寺最勝院
此寺天下国分(こくぶん)寺の列(れつ)にて。今茆堂(はうだう)矮陋(わいろう)に
いたる。痛絶(つうぜつ)すべし。昔時(むかし)乃綸旨(りんし)院宣(いんぜん)数通(すつう)あり。
勿論(もちろん)乃事なり。尊氏(たかうぢ)の比まては余烈(よれつ)ありと
きこゆ。御教書(みけうしよ)あり▼本尊薬師(やくし)如来也。紀籍(きせき)に
載(のせ)る所。諸国分寺聖武(せいむ)天皇の詔(みことのり)にて作るものは。
丈六乃釈迦(しやか)二菩薩也。此寺今長四尺の薬師(やくし)也
惣して諸国分寺今丈六乃本尊をきく事稀(まれ)
なり。殊(ことに)薬師(やくし)乃本尊おほし。彼(かの)時よりかくのこと
くの本尊にもありつるかし。新田義助(につたよしすけ)の墓(壱町東にあり)【割註】

仏光山福智院横峯寺  周布郡
当山は石仙(せん)菩薩(ほさつ)といふ人ありて開基(かいき)といへ
り。此人外(ほか)は沙門(しやもん)乃相(さう)といへとも通(つう)神あり
時(とき)の人石仙と称(しやう)すとなん。当山縁起(ゑんき)弥山(みせん)
前(まへ)神三所同本を用(もち)ゆ。此縁起(ゑんぎ)石鉄(いしづち)権
現乃事。役(ゑん)乃行者(きやうじや)の事。并(ならび)に石仙の事
を書(かき)たり。其文(もん)神奇(しんき)孟浪(まんらん/いやしヽ)なり。神奇(き)乃
事は凡人(ぼんじん)に測(はか)りかたき事も世(よ)におほき
ためしにてさらなり。孟浪(まんらん)は書(かく)人乃罪(つみ)に
非(あら)ずとせす。此石仙は役(ゑん)乃行者の再来(さいらい)

とすさもあらんかし。叡(ゑい)山乃光定(くはうでう)は此国(くに)
の人にて。初(はし)めハ此仙乃弟子(でし)なりしとなん
▼桓武(くわんむ)天皇仙(せん)乃懿徳(いとく)をきこしめし。勅使(ちよくし)を
以て宮(きう)にめさる。仙其(その)命(めい)に応(おふ)せず。勅使
率土(そつど)の濱(ひん)王土にあらざる事なしなど詰(なじ)り
し時錫杖(しやくちやう)を立(たて)て其上に居(こ)す等(とう)勝尾(かちを)
の行巡(ちゆん)の事に異(こと)ならすと書たり。然は桓武(くわんむ)
乃時代(しだい)にて我(わか)大師と同時なり。蓋(けたし)石鉄(いしづち)
は役(ゑん)乃行者の啓迪(けいてき)なれは当地も此行
者開基(かいき)ならんかし。年祀(し)久遠(ゑん)にしてさだ

かならす     当寺本社(しや)もと
より蔵(さう)王権現本地上品(ぼん)上生(しやう)の阿弥陀なり
三十六王子末社(まつしや)あまたあり▼本堂大日
如来脇士持国(ぢこく)天(堪慶(たんけい)作)多(た)門天(運(うん)慶作)右
乃厨(づ)子ハ如意輪観音(によいりんくわんをん)(大師御作)左乃厨子(づし)は
大師乃像(御自(し)作といふ)▼二王門金剛(かう)神長(たけ)六尺余
▼霊宝▼大師御筆ノ額(かく)上品(ぼん)上生とあり
又一枚乃額(がく)ハ仏光山とあり石仙乃筆とかや
▼独股(とこ)石といふ石(いし)尺余(よ)もありと天より降(くた)り
たるよし所以(ゆへ)を聞(きか)ず▼此所より二町

程のほりて鉄(てつ)乃鳥居(とりい)あり。弥山(みせん)の拝(はい)所
といへり。是(これ)より弥山(みせん)へは路程(ろてい)九里なり
▼此所にて北を望(のぞ)めは滄溟(そうめい)渺々として
諸嶋(しま)波(なみ)にうかへり。中国の数(す)山目中に
ありて。一幅(ふく)乃画図(くはと)に対(たい)するごとくと也▼
当寺の領そこはく四至(しヽ)乃標分(ぶん)制札(せいさつ)あり
▼石鉄(いしづち) 鉄(つち)の字ハ鉞(まさかり)なり。をのと訓(くん)ず。つちの
訓(くん)いかなる事にや。粗昧(そまい)乃ゆへかし縁起(ゑんぎ)乃
中には石土とも書り。石土の事前神寺の
所に載(のす)

栴檀山教王院香苑寺  周布郡
此寺は大師(し)此所を通(とを)り玉ふ時。此苑(そのヽ)中栴
檀(せんだん)乃にほひきこゆるにより。たちいらせ玉ひ
たヽ【濁点】ならすおぼしめし。寺を立玉ふの故に。山号
寺号栴檀(せんたん)香苑(こうをん)をよぶといへり。大日如来を安(あん)
するによりて。教王院(けいわういん)と号(かう)す。其佗(た)はきく所
なし。凡(およ)そ。此境(きやう)南は遠(とを)く重(てう)山峙(そばた)ちて雲(うん)
霞(か)起(おこ)り。北は溟海(めいかい)天末(てんばつ)をひたせり。前後は
田畑廣(ひろ)くひらけり

天養山観音院宝寿寺  周布郡
此寺本尊十一面観音なり。惣(すべ)て聞(きく)所なし。
推(おし)て一乃宮(みや)と号(かう)す。いつれの神といふ事を
しらす一の宮記(き)に当国乃一乃宮越智郡
大山祇(づみ)の神社(しや)とあり。即(すなはち)三島(しま)明神なり。当所
もむかしは十町余(よ)も北にありしを。近(きん)来此所に
移(うつ)せりとなん。今は鎮守(ちんじゆ)と号(かう)する一祠(し)と
きこゆ。是一乃宮の余烈(よれつ)にや

密教山胎蔵院吉祥寺  新居郡氷見村
当寺むかしハ今の地より東南にあたり十
五町許(はかり)をさりて山中にあり。堂(だう)塔輪奐(りんくわん)と
して梵風(ぼんふう)を究(きは)む。天正十三年毛(も)利氏(うち)当所
高尾(たかお)城を攻(せむ)る乃時軍士(ぐんし)此寺に濫入(らんにう)し火を
放(はな)ち。此時本堂一宇相残(のこ)り仏具(ぐ)典籍(てんせき)一物
を存せす燬撤(きてつ)す。それより今の地に本尊を
移(うつ)し奉る▼本尊毘沙(びしや)門天坐像大師乃御作なり
▼寺を去(さる)事一町許(きよ)上に柴(しば)井と号(かう)し名泉(めいせん)あり。大
師(し)加持(ち)し玉ひ清華(くは)沸溢(ひいつす/わきあふ)る村民(そんみん)大に利とす

里前神寺  新居郡氷見村
此寺は石土山へは常(つね)参詣(さんけい)する事。あたはざるか
故(ゆへ)に此所にて拝(はい)して去(さる)となり。石鉄(いしづち)山奥前(をくまへ)
神寺を金色院と号(かう)す。本堂護摩(ごま)堂。仏宇(う)相連(つらな)
り本社釣(つり)殿拝殿(はいてん)鄭重(ていぢう)にて。諸伴社(ばんしや)数多(あまた)あり。
当山は和州(わしう)乃大峯(みね)伯耆(はうき)の大山と同しく役(ゑん)の行
者霊験(れいげん)を見て籠(こも)り。同しく蔵王(ずわう)権現示現(じげん)乃幽
区(ゆうく)なり。役(ゑん)の行者■【ウカンムリに取/最】初(さいしよ)此所に練苦(れんく)せりときこへ
たり。山頂(てう)には三ケ日に至(いた)る春冬(はるふゆ)は雪堆(せつたい)
氷柱(ひやうちう)にて。路(みち)通(つう)ぜす。六月朔日より三日まてに

登(のほ)る冨士(ふじ)山にのぼる異(こと)ならず。夜(や)中続松(たいまつ)を
燃(とも)し二里乃間ハ真言或(あるひ)は弥陀乃名号(がう)を唱(とな)
ふ。それより上は無言(むごん)にて心を接(せつ)し息(いき)を
のみ。巉岩(ざんがん)を踏(ふみ)しのぐ路(みち)の通(つう)ぜさる所五所あ
りて。鉄鎖(さつさく/くさり)を■【テヘンに綴のツクリ】(とつ)てのぼる。一の坂。第【略字】二ハ表白坂(ひやくさか)
第【略字】三ハ禅師(ぜんし)が峯(みね)第【略字】四ハ大くほの森(もり)。第【略字】五ハせり
わりが嶽(たけ)。横(よこ)に鎖(くさり)をかけたり。第【略字】一乃くさり八十六
尋(ひろ)。第【略字】二ハ三十三ひろ。第【略字】三は三十六尋(ひろ)。其より
上は都率(とそつ)乃内院(いん)と習伝(ならひつた)へて人に語(かた)る事を
許(ゆる)さず。のほり得(う)るを禅定(ぜんでう)と号(かう)す。山中

異(い)木奇(き)草茂(しげ)く。鬼岩(きがん)怪石(くはいせき)皆(みな)神明(しんめい)仏菩薩の
所居(しやこ)ときこゆ。山頂(てう)に池(いけ)あり。不老池(ふらうち)と号(かう)す
▼本社より東南にあたり九層(そう)の石塔(せきたう)あり。自然(しねん)
抜出(はつしゆつ)といふ。高さ二十余(よ)丈。横四面各(をの々々)六七歩(ほ)。中
に大日如来まします。大師(し)こヽにて護摩修(こましゆ)し
玉ふといへり。是より三町はかり去(さり)。窟(いはほ)あり。仙
人のひらく所といふ。本尊薬師(やくし)を安(あん)ず▼凡(およ)そ
此峯(みね)四国に甲(かう)たり。峯頂(ほうとう)より見れは諸(しよ)山皆(みな)
麓(ふもと)に連(つら)なり独(ひとり)突兀(とつごつ)として隣(となり)なし。紅雲(こううん)常(つね)
に起(をこ)り。心神■【リッシンベンに兄】惚(きやうこつ)として。査(うきヽ)に乗(のる)によらずして

雲漠(うんかは)に入(いる)此所乃事にこそあめれとそ。
当寺も横峯(よこみね)寺と同縁起(ゑんぎ)を用(もち)ゆれは石仙
乃事も同く伝(つた)ふときこへたり。石仙の事横
峯(よこみね)の記(き)中に載(のせ)侍れは今繁(しげ)くせす

■【マダレに臾】(ゆ)嶺山慈尊院三角寺  宇麻郡
此寺本尊十一面観音長(たけ)六尺二寸。大師(し)の御
作甲子(きのへね)の年に当(あた)て開帳(かいちやう)す。今弥勒堂(みろくだう)を
存(ぞん)ず。慈尊(ぢそん)院乃名(な)思ひあはす。もと阿弥陀
堂文殊(しゆ)堂護摩(ごま)堂雨沢(うたく)龍王(りうわう)等(たう)種(しゆ)々の宮堂(きうだう)相
並(なら)ふときこへたり。社乃前池(いけ)あり嶋(しま)に数囲(すい)乃
老杉(らうさん)あり。大師(し)の時此池より龍(りう)王出(いて)て大師(し)御
覧(らん)ぜしとなん。■【マダレに臾】嶺(ゆれい)ハもろこしの梅(むめ)の名(めい)所也
此所も本(もと)梅(むね)おほかりしによつて此名を得(う)るにや
 附

当寺の奥院(いはくいん)金光山仙龍(りう)寺と号(こう)す是より
路程(ろてい)五十八町山中岩端(かんたん)をとり。崎嶇(きく)を歴(へ)て
至(いた)る大師乃像を本尊とし。一の橋(はし)二乃橋(はし)あり
て。回廊(くはいろう)十八間を構(かま)ふ。南に仙(せん)人堂あり釈迦(しやか)
が嶽(だけ)には大師御修(しゆ)法乃所といひ。岩窟(かんくつ)あり。凡(およそ)
此山嶄岩■【山に召】嶢(ざんがんせうほう)として白雲(うん)足下(そくか)に生(しやう)し一鳥
鳴(なか)す。幽邃(ゆうすい)絶塵(ぜつぢん)ときこゆ
四国遍礼霊場記巻七終
  投筆賛辞
四州八十八霊蹤 温故図今七巻中
本自短毫事焉尽 山雲竹樹表清風
 戊辰九月二十五日書於大雲之南軒
余与真念倶巡四国就寺々為仮図帰相語寂本闍梨云々
点頭自手模画余在傍所検證実如再遊大坂木屋市郎右衛門
自本有信先償四国道指南彫費且随喜此記之成与阿波屋久
右衛門相謀募諸同志之助貲寿梓欲伝遐方
元禄二己巳年二月上澣      小沙弥洪卓謹書

 此一巻鏤刻工費施主。大坂上愽労宗向。久室寺町仏工好覚。鍛冶屋町
 七兵衛為浄善清峯。葉山町淡路屋市左衛門。外山町弥勒講女八人。前垂嶋
 佐野屋理兵衛。道頓堀泉屋右衛門。寺嶋尼崎屋九左衛門為道昧与州今治辻堂浄智▼番貞尼
   書家 大坂心斎橋筋北久太郎町 平兵衛
   彫工 同町              五郎右衛門
 

       
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