四国遍礼霊場記
 
▼龍頭山光明院金剛頂寺(二十六番)
 

 
 俗に西寺と呼ぶ。安喜郡にある。景色が見事であるため空海が建立した。嵯峨・淳和両天皇の勅願寺で、奥深い密教の教えを称揚した道場であった。その後も権威は受け継がれ、崇敬を受けた。綸旨・院宣・御教書を受けた。そのうち数件は、永く将来まで守るべき命令書とされている。
 本尊は薬師如来像。空海が作ったとき、像によって肉体を与え堂も出来たので早く行って席に着け、と言った。薬師如来像は立ち上がって厨子に入り、自ら戸を閉めた。以後、戸が開くことはない。
 空海が始めてこの地を訪れたとき、大きな楠があった。木の虚の中に多くの天狗が集まっていた。空海を見て、羽を叩き嘴を鳴らし咎め罵った。空海は暫く呪文を唱えて佇んでいた。不動明王の大呪/火界呪【曩莫薩■【クチヘンに縛】怛他檗帝毘薬、薩■【クチヘンに縛】目契毘薬、薩■【クチヘンに縛】他怛■【クチヘンに羅】■【クチヘンに宅のツクリ】、贊拏摩賀路灑拏、缺、■【ニンベンに去】■【クチヘンに目】、■【ニンベンに去】■【クチヘンに目】、■【クチヘンに縛】尾勤南、吽、怛■【クチヘンに羅】■【クチヘンに宅のツクリ】、憾、■【牟に含】/なうまくさらばたたーぎゃていびやく、さらばぼつけいびやく、さらばたたらた、せんだまかろしやだ、けん、ぎやき、ぎやき、さらばだぎなん、うん、たらた、かん、まん】であった。忽ち火焔が放出された。神通力も及ばず天狗たちは退散した。固く結界して寺を建て、自分の像を彫って楠の虚に置いた。
 空海の弟子に智弘という人がいた。徳の高い僧だったが、賑やかさを嫌い閑談を愛していた。空海に、この寺を任され、隠者のように暮らし一生を終えた。廟がある。
 本堂右の社は地主神・若一王子。左は十八所宮、空海が京から勧請した。山の上には清い泉があり、傍に弁財天の祠が建っている。空海が加持した阿伽井がある。堂を建てて覆っている。二王門には空海直筆の額。御影堂には空海が登ってきたときに使った杖がある。
 空海所持の仏具がある。このほか霊宝は多い。空海が書いたという当山の秘記があるらしい。存在を疑問視する人は多い。だいたいが文字に写せないこともあるだろう。
 文明年中に火災に遭い、堂宇は灰燼に帰した。焼け跡に本尊は瑠璃光を放って立っていたという。堂の再建供養の導師は根来の道瑜だったろうか。そのときの願文に書いてある。
 釜堂の釜は、空海が唐から持ち帰ったものだというが、記録には残っていない。空海時代のもので、通常とは異なる物だと言われている。容量は三石六斗。
 この寺は昔から女人禁制だ。女性の参詣人は、麓にある行道所の窟で拝む。楠の木に空海が彫りつけた霊験あらたかな不動明王像が本尊。
 この山には昔、多くの寺が厳かに放映を行っていたが、今では五寺しか残っていない。
                      
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