四国遍礼霊場記
 
▼金花山妙成就寺摩尼珠院(七十九番)
 

 
 空海の開基。本堂の本尊は十一面観音像。鎮守は金山権現。城山大明神とも呼ばれ、古くから祀られている。伴社が多くある。
 この地に崇徳天皇の霊を勧請し、廟を建てた。ゆえに、この地は、崇徳天皇と呼ばれている。天皇が崩御したとき金棺を暫く置いたので、宮を作ったという。釣殿・拝殿が現存している。寺は観音堂の後にある。寺は昔、多くの堂宇を備えた広大なものだったという。境内には礎石が多く残っている。
 この地から一町ほど西に、野沢という霊水の湧く場所がある。諸病を癒す水だ。霊水から三町ばかり上った山の中腹に、薬師如来の石像がある。空海の作で、高さ二尺ほどの立像だ。土地の人々は、霊水が薬師から出て野沢に通じていると言っている。この薬師像を板敷きに据えると水が出ず、石の上に置くと水が出るという。伝承では、景行天皇の時代、佐留霊公が船で南海/瀬戸内海を進んだとき、大魚と遭遇した。船が呑み込まれ、乗っていた人々は死に、霊公だけが残った。霊公は勇猛に剣で大魚の臓器を破って外へ出た。しかし霊公は力尽きて、意識を失ってしまった。そこへ天童が降って来て、野沢の水を霊公に注いだ。霊公は蘇生した。野沢を弥蘇波と呼ぶようになった。このような伝承があるのだから、霊水の存在は空海に先行する。霊水が先にあって、空海が薬師像を作ったのだろう。温泉に薬師像が置かれるようなものだ。また、崇徳院は崩御のとき、白峰・青峰のいずれかに葬るよう遺言した。国司と崇徳天皇に従っていた人々が朝廷の判断を待つ間、遺体を保存するために金棺を弥蘇波の水に浸けた。それ以後、水は霊性を高めたという。
 この浦の向かいに見える沙弥島は、醍醐聖宝尊が生まれた場所だ。歌枕では、佐美島と書く。「玉もかるさに紀の国の佐美島」と詠んでいる。塩飽島が並んで見える。
                      
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