竺和山霊山寺一乗院 板野郡板東村
当寺は聖武天皇乃御願(くわん)といひ。又は大師(し)
乃草創(ざう)ともいふ。さだかならす。釈迦(しやか)如来を
本尊とし。霊山(れいぜん)寺と名(な)づく。天竺(ちく)の霊山(れいせん)。
和国(わこく)に名あるの故に。竺和(ちくわ)山と称ずるかし。
まことに霊場(れいじやう)ときこゆ。大師(し)こヽに遊化(くわ)
し玉ひて。尺迦。大日。阿弥陀。三尊を作り。各(をの々々)
三堂を立て。安置(ち)し国家乃鎮押(ちんおふ)とし玉
ふ。そのむかしハ宝甍(もう)玉台(だい)雲につらなり。
談義(だんぎ)龍象林をなせりとなん。然といへとも
数回(すくわい)乃兵乱にあひて。堂舎こと々々く
廃替(はいたい)し。緇伍(しご)わしり去(さり)。番煙(ゑん)しば々々空(むな)
しく。雲霧(む)ふかく鎖(とざ)せり万治年中阿
淡(たん)両国乃大守光隆公感慨(かんがい)に堪(たへ)す。堂
宇復起(ふくき)し。むかしの粧(よそほひ)を慕擬(ぼぎ)せり。先住
快栄心さしを紹隆(しやうりう)にはげまし。大師堂。鎮守。
二金剛を作れり。寺籬(まかき)を隔(へた)て右に構たり
竹林蕭條として清風窓(まど)に入
▼大麻彦権現今此寺乃奥院と称す。此神
或ハ当国乃一の宮とせり。霊社なる事かくれなし
寺をさる事八町許北にあり。伴社。中宮
明神。西宮あり。社乃後求聞堂あり。うしろ
乃山大麻山と号す。高く峙(そはた)ち絶(ぜつ)頂に登臨(とうりん)
すれは隣国(りんこく)八州目下に見ゆ▼社は州之太守
造営せらるとなり
▼此寺四国巡(じゆん)拝乃最【ウカンムリに取/最】(さい)初といふ。或は道場寺井
土寺よりも始拝す。みな路次(ろし)の勝手(かつて)によれる
ならし
日照山極楽寺 板野郡檜村
此寺は行基菩薩乃草■【井に刃/そう】にて。むかしハ伽藍(からん)
なりしとかや。物の変(へん)ずるは世乃常に事
荒頓(くはうとん)にいたれり。本尊阿弥陀坐像長(たけ)四尺五寸。
行基乃御作なり。左に薬師如来。右ハ我大師
乃像を安(あん)ずいつの比よりか。禅門乃人住せりと
きこゆ
亀光(きくはう)山釈迦院金泉寺 板野郡大寺村
此寺大師(し)乃開基なり。釈迦如来御長(たけ)三尺に
作り。七間四面の堂を立安(あん)じ玉ふ。当所板東
板西両郡乃名(な)は此堂両郡乃際目(さいめ)にありて。
堂の戸ひら乃板の東西を以て。郡を分(わけ)つの
故に板東板西といふとかや▼宝塔ハ五仏
を安す。今は礎石(いしずへ)ばかり也。牛頭(ごづ)天皇。天神堂も
再営(さいゑい)にあたはす。鎮守春日祠。弁才天祠。漸
存せり
▼中古亀(かめ)山法皇御願(ぐわん)として精藍(しやうらん)御再興(さいこう)有
且(かつ)洛陽(らくやう)蓮華院に擬(ぎ)して三十三間乃堂を立。
千手大悲乃像を安置し。経蔵を置(をき)玉ふ。これに
依(よ)て寺を経処(きやうしよ)坊と号(かう)せり。荘園(しやうゑん)そこばくを
寄(よせ)玉ひ。供給に乏(とも)しからす。遠近顕密(けんみつ)乃学流(りう)
雑沓(ざつたふ)し。講(かう)論乃肆(いちくら)となれり。爾今此あたりに俗の
諺(ことわざ)に利弁(へん)口給(こうきゆう)乃者を見ては。経処坊乃所
化といふこれなり▼金泉乃跡(あと)とてあり由(ゆ)
来きかず▼亀山法皇乃御廟【マダレに苗】(ごへう)もあり。今は
其しるしはかりときこへたり
黒岩山遍照院黒谷寺 板野郡黒谷村
当寺大師三礼一刻乃大日尊を安置し玉ふ。
彫【周に久】甍(てうもう)相ならび。綉闥(しうたつ)ひろくひらけり。星霜(せいぞう)そ
こはくをへて。堂(だう)舎簷(のき)傾(かたむ)き。宝相飾(しき)光う
すくならせ給ひ。応永年中松法師といひしに
夢託(むたく)乃事ありて。脩復(しゆふく)せりとなん。然(しか)しより
又三百年の歳華(せいくわ)をへて。人かはり。世末に
なりて。弥荒涼(くはうりやう)に及へり。今乃住持某いねて
もさめても興継(こうけい)に心を尽(つく)し。謀(はか)りあへる
に。もろこし龍興(りうこう)寺の僧十万人をすヽめ
財(さい)をあつめ。華厳(けごん)経十万部を転し。斎(さい)を設(まう)
く是を華厳社(しや)と号し。白氏文集乃中に
其序あり。此等によりて万人講といふ事
を企(くはた)て近来仏宇を厳(いつくしう)せり▼当村に
安芸木工兵衛といふ人あり。銅鐘を鋳(い)て楼
上に架(か)して。晨昏(しんこん)を報(ほう)ぜしむ▼当寺又ハ
大日寺と称(しやう)ず。遍照院といへは。遍照大日の
事なるかゆへにこれをいふにや。大日乃おハします
院なれはなり
無尽山荘厳院地蔵寺 板野郡矢武村
此寺は大師此所に遊(あそ)ひ玉ふ時。熊野(くまの)の神現(げん)し
て霊(れい)木を手して授(さづ)け給ひ。これを霊像と
して。此所に伽藍(からん)を営(いとな)み。国家乃福田とせ
られて。その心に副(そは)んとなり。これに依(よ)て大
師(し)其木を地蔵薩■【ツチヘンに垂】(さつた)に刻(きさ)み給ふに。一寸八分乃
尊像とならせ給へり。国民(こくみん)力(ちから)をあはせ。不日にし
て伽藍(からん)落成(らくせい)し。棟宇(とうう)闘角(とうかく)盤困(はんこん)たり。道俗
詣拝(けいはい)市(いち)をなし。本尊の霊威(れいい)求(もとむ)るに随(したかい)て応(おう)ぜす
といふ事なし。後宇多(ごうだの)院乃御宇(ぎよう)住持定宥と
いふ人霊夢に依(よ)て一尺七寸乃地蔵乃一像を
作り彼(かの)一寸八分の古像を新像乃胸間(けうかん)にむめ
こめてけり。其時又阿弥陀薬師乃二尊像を作り
両脇(わき)に安(あん)す。蓋(けだし)地蔵。観音。一体にてましませは。此三
尊熊野(くまの)三社になぞらへけるかし。定宥もとより
才徳(とく)信行乃人なり。一夕熊野(くまの)権現瑞託(ずいたく)ありて。
霊薬(れいやく)の剤(さい)方を示(しめ)し玉ふ。諸病効験(かうげん)なしといふ事
をきかず。万病円と号(かう)す。若薬方写(うつ)し去(さり)て佗(た)
所にて調剤(てうさい)するものは。除(じよ)病乃功(こう)すこしもなし。
是を以て人異(い)とす。相伝る事凡(およそ)四百余年也
▼鎮守熊野権現天照太神乃社あり▼長五尺
許(はかり)乃多聞(たもん)持国(ぢこく)の像雲慶(うんけい)作中門にをけり。
本堂乃未申の方に小山あり。摩尼珠(まにしゆ)山と号す。
大師宝珠を納め玉ふ所也。むかしハ寺あり。今礎石(そせき)
存せり。又丑寅乃方に井あり。清華凄然(せいぜん)たり。阿伽(あか)に
用ゆ。寺あり泉福寺といふ。今の住坊は堂を去(さる)
事五六町左にあり。【五字分ほど空白】惣して此寺
乃属(ぞく)坊むかしはそこはくありて。徒衆三百とそ
いひ伝へぬ▼当所を矢武といふ事此勝軍(しやうくん)地蔵ま
しますによつて。此名ありとかや
▼堂の前に池あり。弁才(へんさい)天祠(し)を立。蓮(はちす)にごりに
しまずして。露玉をあさむき。香とをし
▼山院寺号もと勅筆にてありしとなん然る霊
宝当国乃兵乱に散失す。残る物ニハ▼大師の置
給ふ仏舎利▼不動(長四尺八寸大師御作)▼愛染(長七寸大師作頼朝公御所持)
▼迦羅陀山地蔵(長一尺三寸恵心之作)▼普賢延命(大師御筆)▼不動(同)
▼五大尊(大小共大師筆)▼三宝荒神(大師御筆)▼地蔵(行基御作)▼釈迦(大幅小野篁)
▼涅槃像(大幅非伝子)▼此外仏絵。牧渓。雪舟。金岡。増吽。
筆数多あり
瑠璃山日興院瑞運(すいうん)寺 板野郡引野村
此所むかしより温泉(をんせん)ありて。諸方乃病人浴
治(よくぢ)乃利を得(ゑ)し事尚(ひさし)矣。寔(まこと)に大悲(ひ)の抜拯(ばつせう)
なるものなり。これに依て大師薬師如来の尊像
御長壱尺三寸に作り。精藍(しやうらん)を立て安置し玉ふ相
逐(おい)来て医王(いわう)の神化(しんけ)を人みな仰(おほ)ぎ。寺院繁(はん)
栄(ゑい)に至り。十二宇門牆を接(まし)へ。鈴鐘乃ひヽ【濁点付き】き
絶(たゆ)る時なし。然るに虐兵乃ために滅没せられて
より余坊は立るにたつきなく。唯跡のみそ
存せり▼鎮守天照太神乃社あり▼弥勒
菩薩の霊像并に大師(し)の御影纔(わつか)に存せり
▼むかしは温泉あるの故に温泉山といひき。
今は瑠璃(るり)山とぞきこゆ。温泉中古人獣(しう)の
屍(しかはね)入て汚穢(おゑ)せし事ありて廃絶(はいせつ)せり
となん▼又もとは安楽寺といひしを大守
より寺資を附(つけ)られ瑞運(ずいうん)寺と改むとなり
▼境内二町四面ありと云
十楽寺 板野郡たかを村
此寺来由(ゆ)きかす。弥陀を安して十楽と
云。蓋(けだし)此尊を念し奉る所去此(こし)不遠にして
即楽邦(らくほう)なりとしめさんゆへとおほゆ。寺
後(うしろ)は山により。山けハしからす。松風常に
通(かよ)へり。前は田畝(ほ)綺(かんはた)乃ことくわかれたり。来る
人風煙(ゑん)乃翫(もてあそ)ふへき事を思ひ。世俗のみな
空(くう)なる事をさとるとなり
普明山真光院熊谷寺
此寺開基(かいき)及本尊の作者委(くわし)くきかず。異(い)説
ありと聞たり。境(きやう)清幽(せいゆう)にして。谷ふかく。水涼(すヽ)
し。南海一望(ばう)に入。本尊千手千眼観音。御長六尺。
仏舎利百二十六粒御(み)くしに納るよし。御足乃
うらに記文ありとなん。脇士不動。毘沙門
運慶(うんけい)作(さく)。又三十二応(おふ)身あり。作者しれす。右に
大師(し)御影堂。前に鐘楼(しやろう)石階(かい)の下に中門二金
剛長六尺。運慶作。大師御草筆の古き額(がく)を
かけたり。左乃山に鎮守(ちんじゆ)熊野祠八幡あり
白■【虫に也】山法輪寺
此地山とをく。田野にはさめり。一堂茆茨(ばうし)
を掩(おほ)ひ。大師(し)の御作釈迦(しやか)如来壱尺五寸の像
ましませり。深巷(じんかう)人なくして。幽思(ゆうし)きハま
らず。樹木こヽろあるかごとく。うき世乃
塵(ちり)もわするはかり也。今を見てむかしを
おもふ。世乃うつりかはるならひかくのことし
得度山灌頂院切幡寺 阿波郡切幡村
此所は伝(つた)へ云大師初(はしめ)てこヽにいたり給ふ時。
天より五色乃幡(はた)一流(なかれ)降(くだ)り。山乃半腹(ふく)にして。
其幡(はた)ふたつにちぎれて。上は西の方へ飛(とび)ゆき。
行衛しらず。下は此山に落(おち)ける。怪異(くはいい)乃
事なれば。是を伝(つたへ)んとて。大師寺を立
切幡寺と名(なづ)け玉ふとなん。本尊千手観
音秘封(ひふう)して拝する事なし。不動毘沙門を両
に置(をけ)り。皆大師の作なり▼堂の右に大日堂。
次に鎮守。御影堂あり。是より海を望(のそ)む頗(すこふる)
絶景(ぜつけい)なり傍(かたはら)に冷泉(れいせん)あり。みる人心乃にごり
もきよまりぬとおほゆ。大師乃時の壇(だん)とて
花形(けきやう)乃壇くづれなから堂内にあり。人みな感
歎(かんたん)す。古仏おほくあり▼本堂乃左乃方に
鐘楼あり。前の中門多聞(たもん)持国(ぢこく)運慶(うんけい)作。大門の
二王も運慶作なり▼左乃岨に龍王(りうわう)祠(し)有
是ハ大師(し)阿伽(あか)井を加持(かぢ)し玉ふに。清華(せいくわ)常なら
ず。これによつて。龍王を祭(まつ)り玉ふとなん
▼西乃山の尾にむかしの寺乃跡あり。二町四
面。四至(じ)築垣(きつくかき)あり。其佗寺家の跡おほし▼
今乃寺はむかしの塔の跡なり▼暦応(れきおう)
年中参議従三位源朝臣直義(たヽよし)公当寺の内
に塔婆を造立せられ。供養乃願文いまに
あり。導師(だうし)宥範(ゆうはん)阿闍梨(あさり)なり。直義ハ尊氏(たかうぢ)公の弟也
金剛山藤井寺 麻植(をゑ)郡
此寺大師乃啓迪(けいてき)なり。本尊薬師(やくし)如来大師作。
寺前鐘楼。傍(かたはら)に地蔵堂。鎮守祠。あり。下に
二王門を構(かま)たり。今は禅者棲息(せいそく)せり。これに
依(よつ)て今の堂其宗(しう)乃風(ふう)に作れり。岩渓(かんけい)
水清し潺湲(せんゑん)として岩間(いわま)段(だん)々に落(おつ)る所白藤
の棚(たな)などとも見るへきとそ。堂前古(こ)藤あり。
寺乃名(な)はとハでもしりぬへし
摩盧山性寿院焼山寺
此山峻極(しゆんきよく)にして。国中ならひなき高山雲霧(うんむ)
山根をめくる。本堂虚空蔵。大師乃作。左に御影
堂。次に鎮守熱田明神。次に熊野権現社拝
殿華表あり。前に鐘楼あり。大門中門を構へ
たり▼奥院へは寺より凡十町余あり。六
町ほと上りて。祇園祠あり。後乃わきに■【虫に也】窟あり
右に大師御作の三面大黒堂あり。是より上りて
護摩堂あり。是より一町許さりて。聞持堂是より
あかつて。本社弥山権現といふ。是は蔵王権現
とぞきこゆ▼下に杖立といふは。大師御杖
を立玉ふ所となん▼■【虫に也】池と云あり。二十間に
三十間もありとかや▼大門より十八町坂を
下りて。右衛門三郎此(こヽ)にて死し。墓しるしの杉あり
大さ七囲(い)と云。右衛門三ろう事は与州石手寺の
記中にあり
大栗山華蔵院大日寺 一之宮ニある故一ノ宮寺ト云 名東郡
此寺大師以前乃開基か大師あそひ玉ひて
大日如来の像を作り置玉ふ故に。大日寺と
云。今の本尊十一面観音は一乃宮の御本
地となん▼一之宮乃事一本の一ノ宮記には
大麻彦ノ神板野郡乃社を。当国の一宮とせり。
然るに今の宮を以人押て一之宮と号す
異(い)論に及はす。一乃宮に異(い)説ありて争論
に及ふ事。むかしよりありときこゆ。時代に
従ひてかはれるによるならし
此寺奥院と号する所是より十八町西に
あり。本尊薬師大師乃御作。聞持堂の跡(あと)
あり。是へは女人至る事を得す。山上瀧
権現あり。本地不動石像なり▼花蔵院
といふ事。花乃谷。花の蔵といふ所あり。是
をもて名つく
盛寿山常楽寺 名東郡
此寺本尊弥勒(みろく)菩薩大師(し)乃御作也。むかしの
本堂七間四方と見へたり。いまに石すへ存
せり。其佗坊社乃跡皆あり。今茅(はう/かや)堂の傍(かたはら)
一菴(あん)あり。人ある事をしらす。古句を思ひ
出。惆(ちう)悵ス興亡無問処黄昏啼殺(ていさつ)ス樹頭ノ鴉(からす)
法養山金色院国分寺
国分寺は聖武天皇天平九年に詔(みことのり)して。丈
六乃尺迦二ほさつの像を造(つくり)。大般若を写(うつ)し。
諸州(しう)に頒(あが)ち玉ひ。各(をの々々)官租(くはんそ)をいれ。又四天王
乃像を安し。或は吉祥懺(さん)を修(しゆ)し。或は金剛般
若を転(てん)し。国家の豊饒(ふじやう)を祈(いの)り。崇災(すうさい)を
攘(はら)ふものなり。■【ヤネに小ヽ】(しか)しより聖(せい)葉を奕(かさ)ねて皆
天下国分の給列(きうれつ)にあづかる事。史籍(しせき)乃存
する所なり。然に彼風烈(れつ)いまた遠(とを)からす
して。諸国分寺官吏(くはんり)豪家(がうか)のために侵(しん)掠
せられ朽荒(きうくはう)に及ふものあり。廃帝(はいてい)天皇乃
御宇宝字(じ)の末年諸州乃刺史(しし)に詔(みことのり)して。検(けん)
察(さつ)をくハへしめ玉ふ。■【ヤネに小ヽ】(その)後延暦大同の際(さい)又
寺領(りやう)刹圃(さつほ)を侵(おか)し。風化(くは)をやぶるものあり。詔し
てこれを禁(きん)ぜしむ。其いにしへなをかくのことし。
いはんや千年に及ぶの今乃世。廃替(はいたい)する事
むべなり。今此地すたれて名のみに至れり。小
堂一宇薬師の像を安し。一■【ニスイに食/餐】(さん)霞(か)乃客僧。苔径(たいけい)
の月を友とし。竹窓(さう)乃風にひとり臥(ふす)嗚呼
此巻彫工傭貲施主大坂江戸堀阿波屋勘左衛門。前垂嶋阿波屋
久右衛門為円海妙海。同所大津屋五郎兵衛。阿州徳嶋信濃屋利右衛
門。同州福嶋阿弥陀寺乗遍。同北泊岡田宗菴。同所岡田弥五右衛門。
才田岡田兵三郎。淡州空盛