四国遍礼霊場記巻三
 
【目次部分欠落。佗巻と同一の体裁として以下に推し載す】
  阿州上
霊山寺     極楽寺
金泉寺     黒谷寺
地蔵寺     安楽寺
十楽寺     熊谷寺
法輪寺     切幡寺
藤井寺     焼山寺
一宮寺     常楽寺
国分寺

竺和山霊山寺一乗院 板野郡板東村
当寺は聖武天皇乃御願(くわん)といひ。又は大師(し)
乃草創(ざう)ともいふ。さだかならす。釈迦(しやか)如来を
本尊とし。霊山(れいぜん)寺と名(な)づく。天竺(ちく)の霊山(れいせん)。
和国(わこく)に名あるの故に。竺和(ちくわ)山と称ずるかし。
まことに霊場(れいじやう)ときこゆ。大師(し)こヽに遊化(くわ)
し玉ひて。尺迦。大日。阿弥陀。三尊を作り。各(をの々々)
三堂を立て。安置(ち)し国家乃鎮押(ちんおふ)とし玉
ふ。そのむかしハ宝甍(もう)玉台(だい)雲につらなり。
談義(だんぎ)龍象林をなせりとなん。然といへとも

数回(すくわい)乃兵乱にあひて。堂舎こと々々く
廃替(はいたい)し。緇伍(しご)わしり去(さり)。番煙(ゑん)しば々々空(むな)
しく。雲霧(む)ふかく鎖(とざ)せり万治年中阿
淡(たん)両国乃大守光隆公感慨(かんがい)に堪(たへ)す。堂
宇復起(ふくき)し。むかしの粧(よそほひ)を慕擬(ぼぎ)せり。先住
快栄心さしを紹隆(しやうりう)にはげまし。大師堂。鎮守。
二金剛を作れり。寺籬(まかき)を隔(へた)て右に構たり
竹林蕭條として清風窓(まど)に入
▼大麻彦権現今此寺乃奥院と称す。此神
或ハ当国乃一の宮とせり。霊社なる事かくれなし

寺をさる事八町許北にあり。伴社。中宮
明神。西宮あり。社乃後求聞堂あり。うしろ
乃山大麻山と号す。高く峙(そはた)ち絶(ぜつ)頂に登臨(とうりん)
すれは隣国(りんこく)八州目下に見ゆ▼社は州之太守
造営せらるとなり
▼此寺四国巡(じゆん)拝乃最【ウカンムリに取/最】(さい)初といふ。或は道場寺井
土寺よりも始拝す。みな路次(ろし)の勝手(かつて)によれる
ならし

日照山極楽寺  板野郡檜村
此寺は行基菩薩乃草■【井に刃/そう】にて。むかしハ伽藍(からん)
なりしとかや。物の変(へん)ずるは世乃常に事
荒頓(くはうとん)にいたれり。本尊阿弥陀坐像長(たけ)四尺五寸。
行基乃御作なり。左に薬師如来。右ハ我大師
乃像を安(あん)ずいつの比よりか。禅門乃人住せりと
きこゆ

亀光(きくはう)山釈迦院金泉寺  板野郡大寺村
此寺大師(し)乃開基なり。釈迦如来御長(たけ)三尺に

作り。七間四面の堂を立安(あん)じ玉ふ。当所板東
板西両郡乃名(な)は此堂両郡乃際目(さいめ)にありて。
堂の戸ひら乃板の東西を以て。郡を分(わけ)つの
故に板東板西といふとかや▼宝塔ハ五仏
を安す。今は礎石(いしずへ)ばかり也。牛頭(ごづ)天皇。天神堂も
再営(さいゑい)にあたはす。鎮守春日祠。弁才天祠。漸
存せり
▼中古亀(かめ)山法皇御願(ぐわん)として精藍(しやうらん)御再興(さいこう)有

且(かつ)洛陽(らくやう)蓮華院に擬(ぎ)して三十三間乃堂を立。
千手大悲乃像を安置し。経蔵を置(をき)玉ふ。これに
依(よ)て寺を経処(きやうしよ)坊と号(かう)せり。荘園(しやうゑん)そこばくを
寄(よせ)玉ひ。供給に乏(とも)しからす。遠近顕密(けんみつ)乃学流(りう)
雑沓(ざつたふ)し。講(かう)論乃肆(いちくら)となれり。爾今此あたりに俗の
諺(ことわざ)に利弁(へん)口給(こうきゆう)乃者を見ては。経処坊乃所
化といふこれなり▼金泉乃跡(あと)とてあり由(ゆ)
来きかず▼亀山法皇乃御廟【マダレに苗】(ごへう)もあり。今は
其しるしはかりときこへたり

黒岩山遍照院黒谷寺  板野郡黒谷村
当寺大師三礼一刻乃大日尊を安置し玉ふ。
彫【周に久】甍(てうもう)相ならび。綉闥(しうたつ)ひろくひらけり。星霜(せいぞう)そ
こはくをへて。堂(だう)舎簷(のき)傾(かたむ)き。宝相飾(しき)光う
すくならせ給ひ。応永年中松法師といひしに
夢託(むたく)乃事ありて。脩復(しゆふく)せりとなん。然(しか)しより
又三百年の歳華(せいくわ)をへて。人かはり。世末に
なりて。弥荒涼(くはうりやう)に及へり。今乃住持某いねて
もさめても興継(こうけい)に心を尽(つく)し。謀(はか)りあへる
に。もろこし龍興(りうこう)寺の僧十万人をすヽめ

財(さい)をあつめ。華厳(けごん)経十万部を転し。斎(さい)を設(まう)
く是を華厳社(しや)と号し。白氏文集乃中に
其序あり。此等によりて万人講といふ事
を企(くはた)て近来仏宇を厳(いつくしう)せり▼当村に
安芸木工兵衛といふ人あり。銅鐘を鋳(い)て楼
上に架(か)して。晨昏(しんこん)を報(ほう)ぜしむ▼当寺又ハ
大日寺と称(しやう)ず。遍照院といへは。遍照大日の
事なるかゆへにこれをいふにや。大日乃おハします
院なれはなり

無尽山荘厳院地蔵寺  板野郡矢武村
此寺は大師此所に遊(あそ)ひ玉ふ時。熊野(くまの)の神現(げん)し
て霊(れい)木を手して授(さづ)け給ひ。これを霊像と
して。此所に伽藍(からん)を営(いとな)み。国家乃福田とせ
られて。その心に副(そは)んとなり。これに依(よ)て大
師(し)其木を地蔵薩■【ツチヘンに垂】(さつた)に刻(きさ)み給ふに。一寸八分乃
尊像とならせ給へり。国民(こくみん)力(ちから)をあはせ。不日にし
て伽藍(からん)落成(らくせい)し。棟宇(とうう)闘角(とうかく)盤困(はんこん)たり。道俗
詣拝(けいはい)市(いち)をなし。本尊の霊威(れいい)求(もとむ)るに随(したかい)て応(おう)ぜす
といふ事なし。後宇多(ごうだの)院乃御宇(ぎよう)住持定宥と

いふ人霊夢に依(よ)て一尺七寸乃地蔵乃一像を
作り彼(かの)一寸八分の古像を新像乃胸間(けうかん)にむめ
こめてけり。其時又阿弥陀薬師乃二尊像を作り
両脇(わき)に安(あん)す。蓋(けだし)地蔵。観音。一体にてましませは。此三
尊熊野(くまの)三社になぞらへけるかし。定宥もとより
才徳(とく)信行乃人なり。一夕熊野(くまの)権現瑞託(ずいたく)ありて。
霊薬(れいやく)の剤(さい)方を示(しめ)し玉ふ。諸病効験(かうげん)なしといふ事
をきかず。万病円と号(かう)す。若薬方写(うつ)し去(さり)て佗(た)
所にて調剤(てうさい)するものは。除(じよ)病乃功(こう)すこしもなし。
是を以て人異(い)とす。相伝る事凡(およそ)四百余年也

▼鎮守熊野権現天照太神乃社あり▼長五尺
許(はかり)乃多聞(たもん)持国(ぢこく)の像雲慶(うんけい)作中門にをけり。
本堂乃未申の方に小山あり。摩尼珠(まにしゆ)山と号す。
大師宝珠を納め玉ふ所也。むかしハ寺あり。今礎石(そせき)
存せり。又丑寅乃方に井あり。清華凄然(せいぜん)たり。阿伽(あか)に
用ゆ。寺あり泉福寺といふ。今の住坊は堂を去(さる)
事五六町左にあり。【五字分ほど空白】惣して此寺
乃属(ぞく)坊むかしはそこはくありて。徒衆三百とそ
いひ伝へぬ▼当所を矢武といふ事此勝軍(しやうくん)地蔵ま
しますによつて。此名ありとかや

▼堂の前に池あり。弁才(へんさい)天祠(し)を立。蓮(はちす)にごりに
しまずして。露玉をあさむき。香とをし
▼山院寺号もと勅筆にてありしとなん然る霊
宝当国乃兵乱に散失す。残る物ニハ▼大師の置
給ふ仏舎利▼不動(長四尺八寸大師御作)▼愛染(長七寸大師作頼朝公御所持)
▼迦羅陀山地蔵(長一尺三寸恵心之作)▼普賢延命(大師御筆)▼不動(同)
▼五大尊(大小共大師筆)▼三宝荒神(大師御筆)▼地蔵(行基御作)▼釈迦(大幅小野篁)
▼涅槃像(大幅非伝子)▼此外仏絵。牧渓。雪舟。金岡。増吽。
筆数多あり

瑠璃山日興院瑞運(すいうん)寺  板野郡引野村
此所むかしより温泉(をんせん)ありて。諸方乃病人浴
治(よくぢ)乃利を得(ゑ)し事尚(ひさし)矣。寔(まこと)に大悲(ひ)の抜拯(ばつせう)
なるものなり。これに依て大師薬師如来の尊像
御長壱尺三寸に作り。精藍(しやうらん)を立て安置し玉ふ相
逐(おい)来て医王(いわう)の神化(しんけ)を人みな仰(おほ)ぎ。寺院繁(はん)
栄(ゑい)に至り。十二宇門牆を接(まし)へ。鈴鐘乃ひヽ【濁点付き】き
絶(たゆ)る時なし。然るに虐兵乃ために滅没せられて
より余坊は立るにたつきなく。唯跡のみそ
存せり▼鎮守天照太神乃社あり▼弥勒

菩薩の霊像并に大師(し)の御影纔(わつか)に存せり
▼むかしは温泉あるの故に温泉山といひき。
今は瑠璃(るり)山とぞきこゆ。温泉中古人獣(しう)の
屍(しかはね)入て汚穢(おゑ)せし事ありて廃絶(はいせつ)せり
となん▼又もとは安楽寺といひしを大守
より寺資を附(つけ)られ瑞運(ずいうん)寺と改むとなり
▼境内二町四面ありと云

十楽寺  板野郡たかを村
此寺来由(ゆ)きかす。弥陀を安して十楽と
云。蓋(けだし)此尊を念し奉る所去此(こし)不遠にして
即楽邦(らくほう)なりとしめさんゆへとおほゆ。寺
後(うしろ)は山により。山けハしからす。松風常に
通(かよ)へり。前は田畝(ほ)綺(かんはた)乃ことくわかれたり。来る
人風煙(ゑん)乃翫(もてあそ)ふへき事を思ひ。世俗のみな
空(くう)なる事をさとるとなり

普明山真光院熊谷寺
此寺開基(かいき)及本尊の作者委(くわし)くきかず。異(い)説
ありと聞たり。境(きやう)清幽(せいゆう)にして。谷ふかく。水涼(すヽ)
し。南海一望(ばう)に入。本尊千手千眼観音。御長六尺。
仏舎利百二十六粒御(み)くしに納るよし。御足乃
うらに記文ありとなん。脇士不動。毘沙門
運慶(うんけい)作(さく)。又三十二応(おふ)身あり。作者しれす。右に
大師(し)御影堂。前に鐘楼(しやろう)石階(かい)の下に中門二金
剛長六尺。運慶作。大師御草筆の古き額(がく)を
かけたり。左乃山に鎮守(ちんじゆ)熊野祠八幡あり

白■【虫に也】山法輪寺
此地山とをく。田野にはさめり。一堂茆茨(ばうし)
を掩(おほ)ひ。大師(し)の御作釈迦(しやか)如来壱尺五寸の像
ましませり。深巷(じんかう)人なくして。幽思(ゆうし)きハま
らず。樹木こヽろあるかごとく。うき世乃
塵(ちり)もわするはかり也。今を見てむかしを
おもふ。世乃うつりかはるならひかくのことし

得度山灌頂院切幡寺  阿波郡切幡村
此所は伝(つた)へ云大師初(はしめ)てこヽにいたり給ふ時。
天より五色乃幡(はた)一流(なかれ)降(くだ)り。山乃半腹(ふく)にして。
其幡(はた)ふたつにちぎれて。上は西の方へ飛(とび)ゆき。
行衛しらず。下は此山に落(おち)ける。怪異(くはいい)乃
事なれば。是を伝(つたへ)んとて。大師寺を立
切幡寺と名(なづ)け玉ふとなん。本尊千手観
音秘封(ひふう)して拝する事なし。不動毘沙門を両
に置(をけ)り。皆大師の作なり▼堂の右に大日堂。
次に鎮守。御影堂あり。是より海を望(のそ)む頗(すこふる)

絶景(ぜつけい)なり傍(かたはら)に冷泉(れいせん)あり。みる人心乃にごり
もきよまりぬとおほゆ。大師乃時の壇(だん)とて
花形(けきやう)乃壇くづれなから堂内にあり。人みな感
歎(かんたん)す。古仏おほくあり▼本堂乃左乃方に
鐘楼あり。前の中門多聞(たもん)持国(ぢこく)運慶(うんけい)作。大門の
二王も運慶作なり▼左乃岨に龍王(りうわう)祠(し)有
是ハ大師(し)阿伽(あか)井を加持(かぢ)し玉ふに。清華(せいくわ)常なら
ず。これによつて。龍王を祭(まつ)り玉ふとなん
▼西乃山の尾にむかしの寺乃跡あり。二町四
面。四至(じ)築垣(きつくかき)あり。其佗寺家の跡おほし▼

今乃寺はむかしの塔の跡なり▼暦応(れきおう)
年中参議従三位源朝臣直義(たヽよし)公当寺の内
に塔婆を造立せられ。供養乃願文いまに
あり。導師(だうし)宥範(ゆうはん)阿闍梨(あさり)なり。直義ハ尊氏(たかうぢ)公の弟也

金剛山藤井寺  麻植(をゑ)郡
此寺大師乃啓迪(けいてき)なり。本尊薬師(やくし)如来大師作。
寺前鐘楼。傍(かたはら)に地蔵堂。鎮守祠。あり。下に
二王門を構(かま)たり。今は禅者棲息(せいそく)せり。これに
依(よつ)て今の堂其宗(しう)乃風(ふう)に作れり。岩渓(かんけい)
水清し潺湲(せんゑん)として岩間(いわま)段(だん)々に落(おつ)る所白藤
の棚(たな)などとも見るへきとそ。堂前古(こ)藤あり。
寺乃名(な)はとハでもしりぬへし

摩盧山性寿院焼山寺
此山峻極(しゆんきよく)にして。国中ならひなき高山雲霧(うんむ)
山根をめくる。本堂虚空蔵。大師乃作。左に御影
堂。次に鎮守熱田明神。次に熊野権現社拝
殿華表あり。前に鐘楼あり。大門中門を構へ
たり▼奥院へは寺より凡十町余あり。六
町ほと上りて。祇園祠あり。後乃わきに■【虫に也】窟あり
右に大師御作の三面大黒堂あり。是より上りて
護摩堂あり。是より一町許さりて。聞持堂是より
あかつて。本社弥山権現といふ。是は蔵王権現

とぞきこゆ▼下に杖立といふは。大師御杖
を立玉ふ所となん▼■【虫に也】池と云あり。二十間に
三十間もありとかや▼大門より十八町坂を
下りて。右衛門三郎此(こヽ)にて死し。墓しるしの杉あり
大さ七囲(い)と云。右衛門三ろう事は与州石手寺の
記中にあり

大栗山華蔵院大日寺  一之宮ニある故一ノ宮寺ト云  名東郡
此寺大師以前乃開基か大師あそひ玉ひて
大日如来の像を作り置玉ふ故に。大日寺と
云。今の本尊十一面観音は一乃宮の御本
地となん▼一之宮乃事一本の一ノ宮記には
大麻彦ノ神板野郡乃社を。当国の一宮とせり。
然るに今の宮を以人押て一之宮と号す
異(い)論に及はす。一乃宮に異(い)説ありて争論
に及ふ事。むかしよりありときこゆ。時代に
従ひてかはれるによるならし

此寺奥院と号する所是より十八町西に
あり。本尊薬師大師乃御作。聞持堂の跡(あと)
あり。是へは女人至る事を得す。山上瀧
権現あり。本地不動石像なり▼花蔵院
といふ事。花乃谷。花の蔵といふ所あり。是
をもて名つく

盛寿山常楽寺  名東郡
此寺本尊弥勒(みろく)菩薩大師(し)乃御作也。むかしの
本堂七間四方と見へたり。いまに石すへ存
せり。其佗坊社乃跡皆あり。今茅(はう/かや)堂の傍(かたはら)
一菴(あん)あり。人ある事をしらす。古句を思ひ
出。惆(ちう)悵ス興亡無問処黄昏啼殺(ていさつ)ス樹頭ノ鴉(からす)

法養山金色院国分寺
国分寺は聖武天皇天平九年に詔(みことのり)して。丈
六乃尺迦二ほさつの像を造(つくり)。大般若を写(うつ)し。
諸州(しう)に頒(あが)ち玉ひ。各(をの々々)官租(くはんそ)をいれ。又四天王
乃像を安し。或は吉祥懺(さん)を修(しゆ)し。或は金剛般
若を転(てん)し。国家の豊饒(ふじやう)を祈(いの)り。崇災(すうさい)を
攘(はら)ふものなり。■【ヤネに小ヽ】(しか)しより聖(せい)葉を奕(かさ)ねて皆
天下国分の給列(きうれつ)にあづかる事。史籍(しせき)乃存
する所なり。然に彼風烈(れつ)いまた遠(とを)からす
して。諸国分寺官吏(くはんり)豪家(がうか)のために侵(しん)掠

せられ朽荒(きうくはう)に及ふものあり。廃帝(はいてい)天皇乃
御宇宝字(じ)の末年諸州乃刺史(しし)に詔(みことのり)して。検(けん)
察(さつ)をくハへしめ玉ふ。■【ヤネに小ヽ】(その)後延暦大同の際(さい)又
寺領(りやう)刹圃(さつほ)を侵(おか)し。風化(くは)をやぶるものあり。詔し
てこれを禁(きん)ぜしむ。其いにしへなをかくのことし。
いはんや千年に及ぶの今乃世。廃替(はいたい)する事
むべなり。今此地すたれて名のみに至れり。小
堂一宇薬師の像を安し。一■【ニスイに食/餐】(さん)霞(か)乃客僧。苔径(たいけい)
の月を友とし。竹窓(さう)乃風にひとり臥(ふす)嗚呼

 此巻彫工傭貲施主大坂江戸堀阿波屋勘左衛門。前垂嶋阿波屋
 久右衛門為円海妙海。同所大津屋五郎兵衛。阿州徳嶋信濃屋利右衛
 門。同州福嶋阿弥陀寺乗遍。同北泊岡田宗菴。同所岡田弥五右衛門。
 才田岡田兵三郎。淡州空盛

      
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