四国遍礼霊場記巻五
 
土州
 
室戸山            津寺
西寺             神峯寺
大日寺            国分寺
一宮             五台山 付吸江寺
禅師峯寺          高福寺
種間寺            清瀧寺
青龍寺            五社
蹉■【足に陀のツクリ】山  寺山

室戸山明星院最御崎(ほつみさき)寺  俗云東寺ト 安喜郡
此地はむかし大師(し)求聞持(くもんぢ)勤修(ごんしゆ)あそばしける

所なり。大師(し)ミつからかヽせ給ふに。土佐(とさ)室(むろ)生
門(と)乃崎(さき)にをいて寂然(じやくせん)として心に観(くわん)ぜし
かは明星(みやうじやう)口に入(いり)虚空蔵(こくざう)の光明(くわうみやう)照(てら)し来(き)て。
菩薩(ほさつ)乃威(い)を顕(あら)ハし。仏法(ほう)の無(む)二を現(げん)ずと。
かくのことく感応(かのふ)乃霊地(れいち)なるの故(ゆへ)に。弘仁(かうにん)年
中此(この)所に就(つい)て。伽藍(がらん)を立(たて)。大師(し)能満(のうまん)虚空蔵(こくざう)
乃像を刻彫(こくてう)して安(あん)じ玉ふ。大師(し)ましまし
ける時詠(ゑい)じ玉ふ歌(うた) 法性(ほつしやう)乃室戸(むろと)といへ

とわれすめは有為(うい)のなミ風たヽぬ日
ぞなき。此歌(うた)新勅撰集(ちよくせんしう)ニ入られたり為家(ためいゑ)卿(きやう)
自(じ)筆の色紙(しきし)此寺にありときこゆ▼
大師修行(しゆぎやう)の時来(らい)影せる明星(みやうじやう)はき出(いだ)し玉へは
五色(しき)乃石(いし)となる。いまにあり。今明星石(みやうじやうせき)と
いふ是也とかや▼山下に光明石(くわうみやうせき)と云(いふ)有(あり)
大師(し)勤修(ごんしゆ)乃時(とき)龍鬼(りうき)障碍(しやうげ)をなしける時。呪(しゆ)
伏(ふく)して▼涕唾(ていだ/つばけ)し給ふに傍(かたはら)の石に付(つき)て光
明ありしかばいふとなん▼山下乃岩窟(がんくつ)
口の廣(ひろ)さ六七尺。奥(おく)へ入事六七間に如意(によい)

輪(りん)観音(くわんをん)乃石(せき)像長二尺はかり也。龍宮(りうくう)より
あがり玉ふとも云(いふ)。人間(げん)のわざとは見へす。あや
しむへしとなり。巨石(きよせき)にて厨子(づし)あり。内に
二金剛(こんがう)を置(おき)。両戸(と)ひらに天人あり。皆(みな)うけ
ぼりにしたり。心目をまじゆるにあらすは言
語(こんご)乃のふる所をもて察(さつ)すべきに非(あらず)とき
こゆ▼東の大窟(いわや)奥(おく)へ入事十七八間高(たか)さ一
丈或(あるい)は二丈(じやう)三丈乃所もあり。廣(ひろ)さ二間三間
或は五間十間の所もあり。太守(しゆ)巨石(こせき)を以五社(しや)
を建立(こんりう)せられ。愛満権現(あいまんこんけん)と号(かう)す。是(これ)はむかし

此窟中(くつちう)に毒龍(どくりう)ありて人民(みん)を傷害(しやうがい)しける
を大師(し)駆逐(くちく)して。其迹(あと)に此神(かみ)を鎮祀(ちんし)し
玉ふなり▼又其(その)東(ひかし)に窟(いわや)あり。天照(せう)太神(じん)
乃社(やしろ)なり▼坂半(さかなか)に聞持堂(もんぢだう)あり。坂(さか)より上ハ
女人禁制(きんぜい)なり▼足摺(あしずり)山と此嶽(だけ)とを。土州(としう)二つの
御崎(みさき)とす。遙(はるか)に海(うみ)へさし出(いて)たり。此寺殊(こと)に
三方は海(うみ)にて。一方はかり山につヽ【濁点】けり。坐(ざ)
して浪声(らうせい)常(つね)に耳(みみ)に入(いり)大師(し)有為(うい)の事
を感■【口に金】(かんぎん)し玉ふ。今の人又人を感(かん)じ世を
感(かん)す▼此寺むかし梵宇(ほんう)博敞(はくしやう)にして

皓壁(かうへき)月のことくに照(てり)。丹柱(たんちう)霞(かすみ)乃ごとくに駮(またら)【駁カ】
かなり。建仁(けんにん)二年回禄(くわいろく)乃災(さい)にあり。幽砌(ゆうせい)黄
埃(くわうあい)を起(おこ)し。人心傷(いた)まずといふ事なし。彼(かの)時(とき)
本尊(ほんぞん)ミつから大聚(しゆ)の中(うち)より飛出(とひいて)玉ひ。林樹(りんじゆ)
乃中におハしましけるとなり▼世俗(そく)乃
いふくはず芋といふもの此あたりにあり。世に
異(い)なる事あれは大師(し)を課(ひく)。此類(るい)おほし
若(もし)化物(けもつ)乃一端(たん/はし)ならんかし

宝珠(ほうしゆ)山真言院津照(しんせう)寺
此寺東(ひかし)寺西(にし)寺乃間(あいだ)にあり。室津浦(むろつうら)にある
か故(ゆへ)に俗(ぞく)津寺(つてら)とよぶ。本尊(ぞん)地蔵菩薩大師(し)
乃作。秘封(ひふう)して拝(はい)する事なし。本堂(だう)は半(はん)町
ばかりも石階(せきかい)をあがる。南海(なんかい)すへて寸(すん)眸に
入。浪華(らうくわ)天に連(つらな)り清風(せいふう)四面(めん)より来(きた)る此わ
たり。とうの津(つ)。室津(むろつ)はもとより船(ふね)の泊(とま)り也
此浦(うら)波(なみ)あらくして。船(ふね)漂■【風に揚のツクリ/挙】(やう)するが故(ゆへ)に。岩(いわ)
を切裂(きりさき)石(いし)をたヽみ。海水(かいすい)を入(いれ)て湊(みなと)とす。莫(ばく)
大乃経営(けいゑい)ミる人心目を驚(おどろ)かす

龍頭山光明院金剛頂寺  俗(ぞく)西(にし)寺と云  安喜(あき)郡
此寺大師(し)地境(ちけい)乃勝慨(しやうがい)を御覧(らん)して伽藍(がらん)を
建立(こんりう)し玉ひ。嵯峨(さが)淳和(しゆんわ)両朝(れうてう)の勅願(ちよくぐわん)乃場(しやう)と
なり。秘教(ひけう)称揚(やう)せり。■【ヤネに小ヽ】後(そのヽち)奕(ゑき)世先烈(せんれつ)によつて
服崇(ふくさう)あさからず。綸旨(りんし)院宣(いんぜん)御教書(みけうしよ)等下し置(をか)れ。
数件(すけん)永世乃亀鏡(きけい)とす▼本尊(ほんそん)は医王(いわう)如
来(によらい)也大師(し)此尊(そん)像を作(つく)り終(おは)て。像にむかひて
の給はく。堂宇(たうう)すでに落成(らくせい)しぬ。尊(そん)像又支体(したい)
備(そな)ハれり。はやく行(ゆき)て坐(ざ)し玉へと。時に像ミつ
から立(たつ)。厨子(すし)に入(いり)戸(と)を閉(とち)給へり。これより御(み)

戸(と)をひらく事なし▼大師(し)はしめ此所に
至(いた)り見給ふに。大なる楠(くすの)木あり。此木のうつろ
乃中に天狗(く)ともおほくあつまれり。大師(し)を見
てはねをたヽき。はしをならし。とがめのヽし
る。大師(し)しばらく呪(しゆ)を誦(じゆ)じ手(て)をこまねきて
立(たち)玉ふ。誦(じゆ)じ給ふ呪(しゆ)は不動(ふとう)火界(くわかい)の呪(しゆ)なりけ
れは火焔(くわゑん)忽(たちま)ち発出(ほつしゆつ)す。これによつて天狗(ぐ)
ども神力(じんりき)をよはす皆(みな)退散(たいさん)しぬ。其後(そのヽち)かたく
結界(くつかい)して。仏場(ふつじやう)とし御自身(こしヽん)の像を作り
天狗(ぐ)乃ゐける木のほらにすへ玉ふてけり

▼大師(し)乃御弟子(てし)智弘(ちこう)といふ人あり徳行(とくきやう)高(たか)
く聞(きこ)ふといへとも。世乃紛華(ふんくわ)をきらひ。閑談(かんだん)を
あまなへり。大師(し)此山を付(ふ)し給ひて爰(こヽ)に
陰約(いんやく)して。遂(つい)に入定(にうぜう)せり。今に其(その)廟(へう)あり
▼本堂は右乃社(やしろ)は若一王子(わうじ)即(すなはち)当(たう)山の地主神(ちしゆじん)也
左は十八所(しよ)宮(くう)是(これ)ハ王城(わうしやう)乃上社(しや)十八神を勧請(くわんじやう)
せり▼山上清泉(せいせん)あり相(あい)そへて弁才天(べんさいてん)祠(し)を立(たつ)
▼大師(し)加持(かぢ)乃閼伽(あか)井あり。堂を立て掩(おほ)へり
▼二王門には大師御筆の額(がく)あり▼御影堂(みゑいだう)
乃内に大師(し)此山に攀(よぢ)玉ふ時乃御杖(つえ)あり

▼大師(し)御所持(じ)乃仏具(ぶつぐ)あり。此外名ある霊宝(れいほう)
おほし▼当山の秘(ひ)記といひ伝(つた)へてありときこゆ
大師乃あそはしける物となん。人おほくはあや
しむ。惣して紙(し)上に載(のせ)かたき事もありとそ
▼文明(ふんめい)年中火災(さい)ありて堂宇(う)灰燼(くわいじん)となれり。
其時(とき)本尊(ぞん)瑠璃(るり)乃光(ひかり)を放(はな)ち燼(ぢん)中にましま
せりとなり。堂供養(だうくやう)導師(だうし)根来(ねころ)の道瑜(とうゆ)なりし
か。其時(そのとき)乃願文(くわんもん)に載(のせ)たり▼釜堂(かまだう)の釜(かま)此所に
伝(つた)へて大師(し)御請来(らい)といへとも。録(ろく)に見へず。いかさま大
師(し)の時(とき)乃物にて。異物(いぶつ)ときこへたり三石六斗入也

▼当寺もむかしより女人乃のほる事を
制(せい)す。若(もし)女人の参詣(さんけい)はふもとに行道(きやうどう)所
といひ岩屋(いわや)あり。本尊(そん)不動(ふどう)にて楠(くすの)木に
大師(し)作りつけ給ふ霊尊(れいそん)なり。女人は此(こヽ)
にて拝(はい)して去(さる)▼当山寺中むかしは
おほくありて法席慇懃(いんきん)なりしとなり。
今唯(たヽ)五ケ寺になれり

竹林山神峯寺
此山高(たか)く峙(そはだ)ちてのほる事壱里(り)なり。
絶(ぜつ)頂よりのぞむに。眼界(かい)乃をよぶ所諸(しよ)
山ミな山下につらなり。子孫(しそん)のごとし。幽径(ゆうけい)
九折(つヽらおり)にして。くろき髪(かみ)も黄(き)になんぬ。魔(ま)境なる
の故(ゆへ)に申(さる)乃刻(こく)より後(のち)は人行(ゆく)事を得ず。
むかしは堂塔(だうたう)おほくありしときこへたりといへ共
一時火災(さい)ありてより。今は本堂。大師(し)堂。鎮
守(しゆ)のミ也▼麓(ふもと)に養心菴(やうしんあん)と云(いふ)あり。参詣(さんけい)乃人ハ
是(こヽ)に息(いこ)ふ。此あたりに食(くわ)ず貝(かい)といふものあり

法界山高照院大日寺  香我美郡  大谷村
当寺乃啓迪(けいてき)欽明(きんめい)天皇(わう)の時(とき)といひ。本尊(そん)大日
なるか故(ゆへ)に。大日経塔(きやうたう)ありと。敏達(びたつ)天皇(わう)乃事を
いひ。或(あるひ)は龍(りう)猛不空(ふくう)の事なといひ伝(つた)ふとき
こゆ。ミな時代(じたい)方所(ほうしよ)にかヽはらず。其(その)説人あや
しまざる事を得(ゑ)ず。蓋(けたし)大日経(きやう)は法身(ほつしん)常(じやう)
恒(こう)乃説(せつ)。天竺(ぢく)日本も法界(ほうかい)宮(くう)を包(●かね)たりと
云(いう)等(とう)の心ならんかし。されは山号(がう)を法界(ほうかい)山
と称(しやう)ず。但(たヽ【濁点】し)行基(ぎやうぎ)ぼさつを中興(ちうこう)とす。本尊(そん)
大日も行基(きやうぎ)乃作となり。此等(これら)は世人の

信(しん)ずるに足(たる)常(つね)のやうなり▼其後(そのヽち)大師(し)継(けい)
興(こう)し秘密(ひみつ)乃道場(じやう)となれり▼本堂を
さる事三十余(よ)歩(ほ)にしてふるき楠(くすのき)乃七
八囲(い)はかりの大きなるあり。大師(し)これに
薬師如来(やくしによらい)を彫(ゑり)付(つけ)給ひ。霊験(れいげん)あらたかなり。其
わきより霊水(れいすい)涌出(わきいて)清潔(せいけつ)凛乎(りんこ)たり
▼当寺むかしハ二十五ケ寺の所となん寺領(れう)
も七八百石ありしとなり

摩尼山国分寺宝蔵院  長岡郡
当寺聖武天皇(わう)詔(みことのり)にて建(たて)し当国(たうごく)乃国分(こくぶん)
寺(じ)なる事隠(かく)れなし。古(こ)にいはく其(その)根(ね)深(ふか)キ
ものは抜(ぬけ)がたしと。此寺むかしに似(に)ずといへとも
千年に及ぶ今の世其跡(あと)を存(ぞん)ずる事。其(その)
基(もと)ひ鴻(おほ)きなる所以(ゆへ)かしとおほゆ。今の本
尊(ぞん)千手(じゆ)観音(くわんおん)不動(ふどう)毘沙門(びしゃもん)を脇士とせり。行
基(きやうき)菩薩(ぼさつ)乃御作なり。▼本堂の西に大師(し)御
影(ゑい)堂(だう)▼戌亥(いぬい)乃方に崇道(しゆだう)天王を祀(し)す。未申の
方に楠(くす)山王乃神(かみ)を鎮(ちん)す▼左に十王堂。

本坊は東(ひかし)に構(かまへ)たり。脇坊(わきぼう)四宇(う)あり
牆(かき)乃西に門巷(こう)あり▼本堂ノ正面(めん)南に
二王門を立(たつ)。二王長(たけ)五尺五寸。楼(ろう)上華鯨(くわげい)を
掛(かけ)▼?夕(きんせき)乃声響(せいかう)神明(しんめい)に通(つう)し。民(たみ)を安(やすん)し風(ふう)
を移(うつ)せるに擬(ぎ)す▼国分(こくぶん)寺の権輿(けんよ)讃阿(さんあ)
両州乃国分寺の所にて大概(がい)を書侍(かきはへ)る
今繁(しげ)くいふへきにあらず

一ノ宮百々山神宮寺
此宮(みや)は高鴨(たかヽも)大明神ときこゆ。然(しか)れは続(ぞく)日
本紀(ほんき)に従(しゆ)五位(い)下(げ)賀茂(かも)乃朝臣(あそん)田守(たもり)等(とう)が奏(そう)
を戴(ひす)るに。むかし大泊瀬(おほはつせ)乃天皇(わう)葛城(かづらき)山
に猟(ろう)す。時に老(らう)人ありて。天皇(わう)と相逐(あいをい)獲(ゑもの)
をあらそふ。天皇これをいかりて。其人を
土佐(とさ)乃国(くに)へ流(なが)す。神化(しんけ)して老夫(らうふ)となり。爰(こヽ)
に放逐(ほうちく)せらると。蓋(けだし)此社(やしろ)ならんかし。大泊瀬(おほはつせ)ノ
天皇は雄略天皇なり。日本紀(き)に天皇神
にあひ。名(な)を問(とひ)玉へと。一事主(ことぬし)の神なりと。即(すなはち)

轡(くつはみ)をならべて弛聘(ちへい)すと云々▼葛城(かつらき)乃神
は。大己貴(あなむち)乃命(みこと)の子(こ)八重(ゑ)の事代主(ことしろぬし)の命(みこと)
なり。是(これ)を高鴨(たかかも)といふ。又味耜高彦(あじすきたかひこ)の命(みこと)を
高鴨(かも)といふ。此神(かみ)も大己貴(あなむち)乃子(こ)にて。事代(しろ)
主(ぬし)と兄弟(きやうだい)也
▼神宮(しんぐう)寺の本尊阿弥陀観音(くわんをん)勢至(せいし)金銅(こんとう)
乃像なり。伝(つた)へいふ天竺(ぢく)より来(きた)れりと

五台山金色院竹林寺  長岡郡
当山は聖武(せうむ)天皇(わう)霊夢(れいむ)の事ありて。行基(きやうぎ)
ほさつに勅(ちよく)して山中を検(けん)覧せしめ。神亀(しんき)
元年に堂舎(だうしや)を草創(さうぞう)し。基公(きこう)七日霊瑞(れいずい)を祈(いの)
り給ふに。暁(きやう)天一星(せい)几(き)上に落(をつ)。公(こう)是(これ)を収(をさめ)て赤(しや)
栴檀(せんだん)を以て。五髻(け)文殊(もんしゆ)乃像(ぞう)を作り彼(かの)落星(らくせい)
を像の眼精(がんせい)とす▼五台山とて辰旦(しんたん)乃清
涼(せいりやう)山なり。此(こヽ)に文殊(もんじゆ)まし々々て。霊応(れいおう)やん
ことなし。其(その)山五峯(ほう)聳(そびへ)出(いて)ぼさつ乃頂(いたヽき)の
五髻(け)あるに象(かたと)るとなり。今(いま)此山も五色峯(ほう)峙(そばたち)

彼(かの)山に異(こと)ならず。故(かヽるゆへ)に五台(だい)山といふ▼行基(きやうき)
ぼさつは五台(だい)山の文殊(しゆ)乃化身(けしん)なり。南(なん)天竺(ぢく)乃
菩提(ほだい)。世に婆羅門(ばらもん)僧正(そうぜう)といふ此人辰旦(しだん)乃五台(たい)の文
殊(じゆ)神応(じんおふ)いちじるき事を聞(きヽ)。本邦(はう)を出(いて)扁舟(へんしう)
にのりて。大唐(たう)に入(いり)。五台(だい)山にのほる。路(みち)にて一老
翁(らうをう)にあふ。翁(をう)のいはく。文殊(もんじゆ)は今(いま)日本に生(むま)れて
衆生(しゆじやう)を済度(さいど)し玉ふといひ形(かた)ち隠(かく)る。これより
提(だい)日本におもむけり。天平八年七月行基(きやうぎ)奏(さう)し
玉ふに。われ聖僧(そう)をむかふへしと。聖武帝(せうむてい)礼部(ほう)
鴻■【目に盧】(こうろ)雅楽(がらく)乃三官僚(くわんれう)に詔(みことの)りして。難波津(なんはつ)

に向(むか)ふ。行基(きやうき)一百乃沙門(しやもん)を率(そつ)し。官僚(くわんりやう)とヽも
に海浜(かいひん)に音楽(おんがく)をしらべ。伽陀(かだ)をとなへて待(まつ)
所に。須臾(しゆゆ)に海(かい)上小舟(しう)浮(うか)ひ
来(きたれ)り菩提(ぼだい)舟(ふね)より
あかり。行基(きやうぎ)を見る。基公(きこう)微笑(みしやう)す。提(だい)。基(き)乃手(て)
を取旧識(きうしき)乃ごとし。互(たかい)に梵語(ぼんご)をなし玉ふ。
人しる事なし。又基公(きこう)和(わ)文を詠(ゑい)し玉ふに
 霊山(れいせん)の尺迦(しやか)乃御前(みまへ)に契(ちぎ)りてし。真如(しんによ)朽(くち)せず相(あい)ミつるかな
とありしかは提(だい)和(わ)し玉ふに
 伽毘羅衛(きやひらゑ)にともにちぎりしかひありて文殊(じゆ)のミかほ相(あい)ミつるかな
此等(ら)ミな諸伝(てん)に載(のせ)て人議(き)する事なしこ乃山

霊境(れいけう)なる事尤(もとも)つヽしむに足(たつ)ものなり▼
此山乃五峯(ほう)を東岱(とうたい)南衡(なんかう)西華(くわ)北恒(こう)中嵩(すう)と
称(しやう)ず。是は辰旦(しんだん)乃五嶽(かく)の名(な)をとれり。尚書(しやうしよ)
乃大伝(てん)にのせ。白虎通(こつう)風俗通(ふそぞくつう)等(とう)にくハしく
其(その)事を記(しる)せり。今の名(な)つくる事はしらす
▼乾(いぬい)の方に三つ乃池(いけ)あり三解(け)三身三宝等乃
配(はい)表ありときこゆ。諸(しよ)寺ミな種(しゆ)々の配称(はいしやう)を
伝ふ。自宗(ししう)乃常談(しやうだん)なり▼延暦(ゑんりやく)乃末(すへ)賊兵(ぞくへい)
乃ために此地侵掠(しんりやう)せられ。荒涼(くはうりやう)する事久し
弘(こう)仁年中大師(し)慨歎(かいたん)して興継(こうけい)し玉ふ時に

境(けい)内水とぼし。大師(し)一杵(しよ)をもて加持し玉へは
清華(せいくわ)ほどはしり出(いつ)。是(これ)を独■【月に古】(どこ)水といふ▼当寺
興底(こうてい)幾回(いくたび)といふ事をしらす堂宇(たうう)定(さたま)る事なし
今存(ぞん)するもの▼本堂乃左開山堂(かいさんだう)行基(きやうぎ)ぼさつの像有
▼池中弁才天(べんさいてん)祠(し)▼次。鎮守(ちんしゆ)は山王権現(こんけん)拝殿(はいてん)あり
右に大師(し)堂(たう)前(まへ)ニ拝所(はいしよ)▼次に三重(ちう)乃塔(たう)本尊大日
▼鐘楼(しゆろう)▼さし入に二王門を設(まふ)く▼門外に牛(ご)【欠字カ】
堂。行基(ぎ)の御作の大威徳(いとく)明王を安(あん)せり▼本坊乃持(ぢ)
仏堂阿弥陀如来南無阿弥作。観音千手恵(ゑ)心の作
勢至(せいし)春日(かすが)作取あはせたりとおぼゆ▼此寺にして

什宝(じうほう)なんぞなからんや。往古(わうこ)数回(すくわい)乃毀廃(きはい)にあひ。
近(ちか)き比(ころ)は寛永廿年正月元日の夜(よ)天火飛(とび)来(きた)
りて屋棟(おくとう)につき。漸(やうや)く本尊を出(いた)し奉る外(ほか)一
物を残(のこ)さず。什具(じうぐ)典籍(てんせき)焼失(しやうしつ)す。州(くに)乃太守(しゆ)迹(あと)
を撫(なで)て感慨(かんかい)し。堂社(しや)おほく復起(ふくき)せり
▼此山乃足(ふもと)に吸江(きうこう)寺といへる禅区(せんく)あり。夢想国
師(むさうこくし)のひらける所也。即自作乃肖(せう)像もあり。此禅師(ぜんじ)
例乃泉(せん)石の賞癖(しやうへき/くせ)。いつくも流風(りうふう)優絶(ゆうせつ)ながら。此寺
見る人一入(しほ)と覚ゆ。十景(けい)の名(な)ありさためて
詩もあるへし

八兼山求聞持院禅師峯(ぶ)寺
此山乃清幽(せいゆう)大師(し)優賞(ゆふしやう)して堂宇(たうう)を建(たて)。本
尊を作らんとおぼしける時。天より■【梵字キャ】此文字(じ)
降(ふり)ける故(ゆへ)に。直(じか)に是(これ)を本尊(そん)とし玉ふとなん。
此梵字(ぼんじ)は十一面(めん)観音(くわんをん)の種子(しゆし)なり▼中古(ちうこ)火
難(なん)乃事ありしに。その焔(ゑん)中■【梵字キャ】(きや)字(じ)乃躰(たい)そこ
ねずしてあり。此時(とき)より秘封(ひふう)しけるとなり
▼奥(をく)乃院(いん)と号(かう)する所に。龍穴(りうけつ)二所あり。此窟(いわや)
に毒蛇(とくじや)あり
つるを。大師(し)至(いた)り禅観(せんくわん)に住(ぢう)し
玉ひしかは。毒蛇(とくりう)相(あい)避(さけ)。大師(し)所持(ぢ)乃念数(ねんしゆ)を

蛇(じや)にかへて置(をき)玉ひ。いまに霊宝として
納め伝ふ▼此地。山院(いん)寺乃立号(がう)子細(しさい)ありと
きこゆ。其(その)来由(らいゆう)のかける一紙(し)奥(をく)に常(つね)の愚(ぐ)
人乃伝(つた)ふる歌(うた)も書たり余(よ)倒回(とうくわい)縦横(じうわう)目(め)を■【靡にリットウ】(すり)
見しかども推解(すいげ)せず
▼惣して諸(しよ)寺の唱歌(しやうか)といふものつたなき言(こと)乃
葉(は)とて。拙(つたな)き人又つくりなをしさま々々なり。よき
人乃口にふれさる事にて。とるに足(たる)ものなし
▼此寺の前に御手洗(みたらし)といひ。大きなる池(いけ)ありときこゆ。
検者(けんしや)漏脱(ろたつ)せるまヽに。其所をしらす

保寿山高福寺  長岡郡長浜村
此寺本尊薬師(やくし)両脇士ともに大師(し)乃作也
近(ちか)き比長曽我部(そかべ)元親(もとちか)これを菩提(ほだい)所(しよ)とせ
しより禅宗(ぜんしう)となり開(くわい)山派(は)乃僧侶(そうりよ)住居し
雪渓(せつけい)寺と改(あらた)むとなり

本尾山朱雀(しゆじやく)院種間(たねま)寺  吾川郡秋山村
此寺は聖徳太子(とくたいし)天王寺を建立(りう)し玉ハんとて
百済国(はくさいこく)より像刹(ぞうせつ)乃工匠(こうしやう)をめし。事(こと)既(すでに)周備(しうび)し
て工匠(こうしやう)等(ら)本邦(ぼう)に帰(かへ)らん事を請(こひ)。海上(かいしやう)舟(ふね)をう
かへ万里の波濤(はたう)にのぞむ時(とき)に逆風(ぎやくふう)あらく
して。柁(かぢ)を折(をり)。高波(かうは)天に沃(そヽ)くがことし。人
ミな波(なみ)に随(したかい)て南(なん)北し。たま々々当州(たうしう)吾(あ)川
郡に船(ふね)を着(け/つ欠カ)。魚鼈(ぎよべつ)乃腹(はら)に葬(はふむら)れん事を
まぬかる。爰(こヽ)に滞留(たいりう)しける程(ほど)に。今の薬(やく)
師乃像を作。故邦(ほう)に帰(かへ)らん事を祈(いの)る。時に両

鶴(くわく)飛(とび)来り。羽翼(うよく)をのへて。船(ふね)乃ごとく。衆(しゆ)
人をのせて西天にゆきける。人皆(みな)此本尊(そん)
乃霊異(れいい)と感(かん)じ。本尾(もとを)乃山頂に堂(だう)を立て
本尊(ぞん)を安(あん)し。国家(こくか)の鎮押(ちんおう)とす▼其後(のち)清(せい)
和(わ)天皇(わう)の御宇(きよう)粟田(あわた)乃開白(くわんはく/ママ)道兼(みちかね)公(こう)乃(の)男(なん)
信衡(のふひら)公(こう)此州(くに)に配流(はいる)せられ。其子(そのこ)信定(のふさだ)山下に
堂(だう)を立。本尊を移(うつ)し奉れり。参詣(さんけい)の人に労(らう)
なからんと謀(はか)る▼村上(むらかみ)天皇霊異(れいい)をきこしめ
し藤原(ふじはら)の信家(のふいゑ)を勅使(ちよくし)として種間(たねま)寺の額(かく)
をたまハり。信家公大般若(はんにや)一部(ふ)書写(しよしや)し宝前(ほうせん)

に納めんと。立願(りうぐわん)乃事あり。時に一化僧(けそう)来て
われよく君(きみ)乃願(ぐわん)を償(つくのは)んといひ。堂(たう)に籠(こも)り
居(い)て三とせの間(あいた)に六百巻(くわん)書写功(しよしやこう)畢(をはん)ぬ。
供養(くやう)の事に化僧(けそう)いかなる事ありて。此経巻(きやうくわん)
悉(こと々々)く空(そら)に上り。しばらくの間に文字(じ)は抜(ぬけ)て
白紙(しらかみ)ばかりに成(なり)て返(かへ)れり。是(これ)を白紙(はくし)の般若(はんにや)
と伝(つた)へいふ。冷泉(れいせん)院乃御宇(きよう)此白紙(はくし)をめされ
て。別(べち)に大般若(はんにや)一部(ふ)并(ならびに)十六善神(せんじん)の絵(ゑ)一幅(ふく)
を下さる。今(いま)にこれを伝(つたへ)て。毎歳(まいさい)衆僧(しゆそう)を
請(しやう)して転読(てんとく)し。国家(こくか)安全(あんせん)乃勝術(しやうじゆつ)とせり

▼当寺数(す)百年の間興(こう)廃数回(すくわい)載(のせ)て記録(きろく)に
あり。今乃堂は正保三年秋。前(せん)国主(こくしゆ)従(しゆ)四位侍
従(ししう)兼(けん)土佐守(とさかみ)藤原(ふしはら)朝臣(あそん)忠義(たヽよし)。むかしのことく本
尾乃山頂に堂(たう)を立(たて)。壊材(くわいさい)きよらをつくせり。本
尊を移(うつ)し奉り。霊境(れいきやう)霊尊(れいそん)相応(さうおう)し。霊威(れいい)又新(あらた)
なり▼忠義(たヽよし)乃令子(れいし)忠豊(たヽとよ)朝臣(あそん)先君(くん)の佳志(かし)
を続(つヽき)。寛文九年の夏(なつ)。堂を脩補(しゆほ)し鎮守社(ちんしゆしや)を
再建(けん)せられぬ

医王山清瀧寺鏡智寺  高岡
此寺の本尊薬師(やくし)如来日月光十二神行基(きやうき)ぼ
さつの作。秘(ひ)仏とす。本堂(たう)の左に鎮守社(ちんしゆしや)。右に大師(し)
乃御影堂(みゑいたう)此傍(かたはら)に真如親王(しんによしんわう)の墓(はか)といふあり。五輪(りん)
塔長(たけ)五尺許(はかり)なるを立(たつ)。これは彼(かの)親王(しんわう)入唐(につたう)あ
そばしける時。難風(なんふう)により。しバらく此州(くに)にあがらせ
給ひ。民家(みんか)をしつらひ。憩(いこ)ハせ玉ふにより。此所
をいまに御所(こしよ)の内(うち)と名(な)づく。さて此寺に
いらせ給ひて。唐(から)天竺(ちく)遠遊(ゑっみゅう)乃事なとおぼし
あはせ。御心ぼそくやありけん。此所にかね

ての御墓(みはか)をつかせてのこし玉ふといひ伝ふ。
果(はた)して羅越国(ほゑつこく)にて遷【シンニョウに千】化(せんけ)し玉ひけり▼此親(しん)
王は平城帝(へいせいてい)乃第(たい)三の子也高岳(たかおか)の親王(しんわう)と号(かう)す。嵯
峨(さか)乃天皇立(たて)て皇(くはう)太子とす。沙門(しやもん)となり東(とう)大寺
に居(い)三論(ろん)を習(なら)ひ。性(せい)聡敏(そうびん)にて。志気(しき)宏邁(くはうまい)なり。学(かく)
内外(げ)に渉(わた)る。真言教(しんごんけう)を我(わか)大師に受(うけ)。上表して入唐(たう)し
西域(いき)にゆかんとして。流沙(りうさ)を過(すぎ)。逆旅(げきりよ)に遷【シンニョウに千】化(せんげ)し玉ふ。
日本より入唐(たう)するもの。千百を以て数(かぞ)ふ。天竺(ちく)に
跛(くはた)つるも乃唯(たヽ【濁点】)此(この)親王(しんわう)壱人なり。其いさめる事
古人なを喟歎(きたん)せり。今の御墓(みはか)を聞(きく)も尚(なを)あはれ也

独股(とつこ)山青龍寺伊舎那院  高岡郡竜村
此山■【山に酉】■【山に卒】(しゆそつ)として前(まへ)ひらけ。後(うしろ)は絶溟(せつめい)。左は蒼海(そうかい)
右は重(てう)山。大師(し)もろこしにて投(なげ)玉ふ独股杵(とつこしよ)此山に
留(とヽま)りあるが故(ゆへ)に。独股(こ)山といふとなん。地境(ちけい)唐(もろこし)乃青
龍寺(せいりうし)に似(に)たりとて。伽藍(がらん)を立(たて)青龍寺と号(かう)すとかや
本尊(ぞん)不動(ふどう)は大師(し)御作也。鎮守(ちんじゆ)ハ白(はく)山権現(こんげん)也寺
中泉水(せんすい)あり大師(し)の作り玉ふといふ龍王(りうわう)乃宮(みや)あり旱(かん)
天の時は此泉水(せんすい)鐘(かね)をひたすに忽(たちま)ち雨(あめ)ふる
となり▼堂より四町許(はかり)西に奥院(おくのいん)といふあり。九尺四方
乃石龕(せきがん)あり。不動の石(せき)像長六尺。大師(し)の御作なり

仁井田五社  高岡郡仁井田宮之内村
当社国(くに)乃太守(しゆ)より建立(こんりう)せられ。地境(ちけい)洞(ほがらか)に
ひらけて社頭(しやとう)たヽ【濁点】ならずきこゆ。前(まへ)に大河(か)あり
仁井田川といふ。仁井田は庄(しやう)乃名(な)なり。当社(たうしや)乃
別当(へつとう)岩本(いわもと)寺といふ社(やしろ)より十余(よ)町を隔(へだ)て。久
保(くぼ)川の町に寺あり

蹉■【アシヘンに陀のツクリ】山補陀洛院金剛福寺  幡多郡
此寺大師以前より由(あり)と堂山頭(たうさんとう)にありしを。勅(ちよく)
を奉(うけ)て大師(し)今の所に堂社(たうしや)を立(たて)。勅願(ちよくぐわん)乃所
となれり。本尊千手(じゆ)千眼(げん)乃大悲(ひ)の像長(たけ)六尺二十
八部(ぶ)衆(しゆ)囲饒(いねう)【繞カ】せり金峯(きんふう)上人住居(きよ)の時魔魅(まみ)常(つね)
に障碍(しやうけ)をなせるにより。上人呪伏(しゆふく)し魔(ま)悲歎(ひたん)蹉
■【アシヘンに陀のツクリ】(さた)す。故(ゆへ)に蹉■【アシヘンに陀のツクリ】(さだ)を山号(がう)とすとなん。大師(し)唐(たう)にて投(なけ)玉ふ
五股金剛(ここんがう)此山に落(おち)けるが故(ゆへ)に金剛(こんがう)福寺といふとなり。
観音(くわんをん)の霊場(れいじやう)なれは補陀洛(ふだらく)を院号(いんがう)とす。本堂の
左に塔(たう)あり。本尊大日是(これ)は清和(せいわ)天皇の追薦(ついせん)として

多田(たヽ)乃満(まん)中造営(ざうゑい)ありといひ伝ふ▼堂の右乃
十三重(ぢう)の石塔(せきたう)は前(せん)国主(こくしゆ)忠義(たヽよし)公乃立る所なり
▼愛染堂(あいぜんだう)。薬師(やくし)堂。役(ゑん)乃行者(きやうしや)。大師堂。檐(のき)相接(ましゆ)鎮守(ちんしゆ)
熊野権現(くまのごんげん)天神(じん)乃社(やしろ)あり▼前(まへ)に二王門。鐘楼(しゆらう)有。
門乃前(まへ)除石(よけいし)といふあり▼辰巳の方に伊勢(いせ)両宮(くう)を
斎祀(さいし)す。左乃山を宝満(ほうまん)の嶽(だけ)といふ。是より南に去(さり)
御崎(みさき)なり。少下りて鳥居(とりい)あり。むかし大師(し)乃立
玉ふといひ伝ふ。是より西に小笹(さヽ)の芝(しば)といふあり▼傍(かたはら)
に大石(いし)上(うへ)くほミたる所あり常(つね)に水あり塩(しほ)干満(ひみち)石
といふ。近き程にゆるき石あり▼其佗(た)名ある

所神社(しんしや)勝(あげ)て載(のせ)がたし▼寺中堂(だう)より右に
相(あい)並(ならべ)りむかしは境内(けいだい)三里四方と云▼霊宝(れいほう)
数多(あまた)あり▼嵯峨(さか)ノ天皇宇多(うだ)醍醐(だいご)ノ天皇円
融(ゑんゆう)院冷泉(れいぜい)院等(とう)御(ご)代々乃勅書(ちよくしよ)高家(かうけ)寄附(きふ)乃状
等おほし

月山
此月石むかし媛(ひめ)の井といふ所にありしを
一化(け)人ありて。此所に移(うつ)し置(おき)けるに次第(だい)に
大くなりてさま々々霊瑞(れいずい)あるにより。人
ミな祈求(きぐ)せる事あれは。応(おう)ぜすといふ
事なし。媛(ひめ)の井の所の人は精進(じん)せざれ
とも参詣(さんけい)す。余(よ)所乃人ハかたく精(じん)せ
ざれはかならすあしヽといふ

赤木山寺山院延光寺
此寺本尊薬師(やくし)如来大師(し)乃御作也。大師御影
堂鎮守(ちんしゆ)五社(しや)拝殿(はいでん)あり。十町ばかり行(ゆき)て奥(をく)
乃院(いん)といふあり。瀧(たき)もありて幽邃(ゆうすい)絶塵(ぜつぢん)なり。
此寺かくのことく霊地にてむかし乃事
寥(れう)としてきく事なし実(まこと)に痛絶(つうぜつ/いたむ)
すへし▼凡(すべて)此州(くに)乃霊場(れいじやう)はミな大守(しゆ)
より脩補(しゆほ)せらるとなり
 此一巻■【金に侵のツクリ】工傭貨施主大阪寺嶋阿波屋甚右衛門。同所塩飽屋小兵衛
 同所淡路屋権右衛門与講中。阿波屋伝兵衛為浄英。塩飽屋甚兵衛与
 講中。土佐屋吉兵衛。塩飽屋甚兵衛。紀伊国屋長太夫。直嶋屋吉兵衛
 児島屋平左衛門。鎌倉屋吉左衛門。川野屋市郎兵衛。和泉屋九左衛門
 淡路屋作右衛門塩飽立石平尾伝兵衛西五郎兵衛孫七左衛門
      
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