四国遍礼霊場記巻六
 
  豫州上
 
観自在寺     篠山
稲荷        仏木寺
明石寺       菅生山
岩屋寺       浄瑠璃寺
八坂寺       西林寺
浄土寺       繁多寺
石手寺

平城山薬師院観自在寺  宇和郡平城村
此寺大師(し)乃開基(かいき)薬師(やくし)を本尊(ぞん)とす。本尊の
わきに観音(くわんをん)まします。観自在(くわんじさい)の寺号(がう)お
もひあはす。むかしは別(べち)に堂(だう)ありなんと云(いふ)。
御影堂(みゑいだう)鎮守(ちんじゆ)鐘楼(しゆろう)あり。数千竿(すせんかん)の竹藪(そう)の隣(となり)
とし。山前(まへ)にありて高(たか)からす。右に入海(いりうみ)あり。仁
智(じんち)乃愛(あい)乏(とぼ)しからず。これによつて太守(だいしゆ)監撫(かんぶ)
の余暇(よか)遊息(ゆうそく)乃亭(てい)を寺前に立(たて)らる茆(かや)を
掩(おほ)ひ清閑(せいかん)ときこゆ

篠(さヽ)山観世音寺
此山南(みなみ)は蒼海漫(まん)々として。天水つらなり。東(ひかし)
は高山かさなり。雲(くも)常(つね)に起(おこ)り。西ハ千嶺(れい)め
くり。九州(きうしう)目下(もくか)に見ゆ。坂(さか)をのぼる事壱里也
大師(し)のひらき玉ふとや。寺を観(くわん)世音(をん)寺と名(なづ)く。本尊
十一面(めん)長五尺。山上は三所(しよ)権現(ごんけん)といふ。熊峯(ゆうほう)の神にや。
わきに池(いけ)あり中(なか)に矢筈(やはづ)乃形(かたち)なる岩(いわ)あり。まハりに
さ■■■【三字分焼失/ヽ竹繁し】。霊異(れいい)の事をいひ。諸病(しよびやう)に用(もち)ゆ皆(みな)験(しるし)あ
りといふ。別(へつ)して馬のやむによし▼此所札所乃数
とせずといへとも皆往詣(わうけい)する霊(れい)境なり

稲荷(いなり)  上郡登賀利村
此社(やしろ)乃鎮坐(ちんざ)年代つまひらかならす。もと此神(かみ)
我(わか)大師(し)筑紫(つくし)にてあひ。其後(そのヽち)又紀州(きしう)田辺(たなべ)にてあひ
玉ふ。大師(し)其名(な)を問(とひ)玉へは。京八條乃二階堂(かいたう)柴
守長者(しばもりちやうじや)とぞなのり給ふ。大師(し)の給(たま)はく。われに
帝■■【二字分焼失/王よ】り東寺(とうじ)を賜(たまは)る。神のおハしますあたり
■■■■【四字分焼失/なり我法】を守護(しゆご)し玉へと。其後神(しん)東寺(とうじ)に至(いた)り
給■■■■【四字分焼失/ひしかば】大師(し)饗応(きやうおう)ありて。法施(ほつせ)などあそばし。
即(すなはち)稲荷(いなり)山に小社(しや)を立(たて)鎮祀(ちんし)し其(その)額(がく)を書(かき)掛(かけ)玉ふ。
彼(かの)二階堂(かいだう)といふ所は。今の御旅(おたび)所なり。其稲(いね)を

になへるが故(ゆへ)稲荷(いなり)と号(かう)す。筑紫(つくし)にても
紀州(きしう)にても大師(し)巳(み)の日あひ玉ふが故(ゆへ)に巳(み)の
日を縁(ゑん)日とすといひ伝ふ▼一説(せつ)には元明(けんみやう)天皇
乃御宇(う)和銅(わとう)年中神(しん)伊奈利(いなり)山に現(げん)ずと。此
神は宇賀姫(うかひめ)といひ。五穀(こく)乃祖(そ)神。冨饒(ふねう)を主(つかさと)り
給ふと。稲荷(いなり)又は飯成(いなり)とかく▼凡(およそ)神道(しんとう)乃説(せつ)
おほく神代の神名(じんめう)にとり合す勿論(もちろん)の事なり。
しかれども彷彿(ほうふつ)ならざるはすくなし。なんそや
天照(せう)太神より神武(じんむ)天皇まて二百三十四万
余(よ)歳。洪業(こうくわう)としてしる所なし。人王第(だい)十

六代応神(おふじん)天皇(八幡)に至(いたつ)て百済(はくさい)国より論語(ろんご)等(とう)
を渡(わた)し。はじめて異国(いこく)乃教(けう)といふ事をしり。仁
義(じんぎ)の名(な)をきけり。其後(そのヽち)聖徳太子(とくたいし)願(ぐわん)に乗(じやう)し来(きた)
り。日本のことばを漢字(かんじ)につけ。儒教(じゆけう)を習(なら)
はせ。神道(しんとう)を賛(さん)じ仏法を興(おこ)し。其理(り)あはせて
一根(こん)とし玉へり。神聖(しんせい)にあらずとなんぞよく
此(こヽ)にいたらんや。これよりさき。日本に道義(ぎ)を云(いふ)
ものなし。唐(もろこし)にては周公(しうこう)孔子(こうし)に并(あは)せ安(あん)ずべし
此後(このヽち)神道(しんたう)を説(とく)者(もの)仏教(けう)をかつて述(のべ)すといふ
事なし。然(しか)るに近世(きんせい)神道(しんたう)といひ。おほくハ宋儒(そうじゆ)

乃排(はい)病をうけ習(なら)ひ。神道に課(おほせ)て仏法を
排(はい)せん事を謀(はか)りて。種(しゆ)々の誣言(ふげん/しいいつはり)をなし。
或(あるい)は儒説(しゆせつ)乃鬼神(きしん)に引入(いれ)日本の神を滅(ほろぼ)す
腐流(ふりう)もあり。をのが瞋嫉(しんしつ)にまかせて。を乃が
膏肓(かうくわう)を忘(わす)れ。国制(せい)をやぶり。愚(く)人を惑(まよ)はすも
あり。私(わたくし)により。虚(きよ)を課(ひい)て。一準(じゆん)なる事なし。粗(ほヽ【濁点】)
予(よ)が邪排(じやはい)仏教論。神社邪誣(ふ)論に弁(べん)す。今の稲
荷(いなり)も大師(し)乃事を嫌(きら)ひて異説(いせつ)を作る遂(つい)ニ
よる所なし▼今の社(やしろ)ひさしく荒(くはう)涼せる事図(づ)乃
ことし。道清と云人諸人を誘(いざな)ひ社并ニ寺を再興有

一■【果に頁】(くは)山毘盧舎那(ひるしやな)院仏木寺  宇和郡則村
此寺は大師(し)こヽへ至り給ふ時。古(ふるき)楠(くすのき)の上に
光耀(くはうよう)の物あり。あやしみ見玉ふ所に。一■【果に頁】(くは)乃宝
珠(ほうしゆ)あり。故(かヽるゆへ)に此楠(くすのき)を伐(きり)。大日如来を刻彫(こくてう)し。其
玉を御(み)くしに納め玉ひ。伽藍(がらん)を立て安置(ち)し
て。一■【果に頁】(くは)山仏木を号(な)とし玉ふとなん。或(あるひ)は大師(し)
大唐(たう)にて一■【果に頁】(くは)を投(なげ)玉ひしに。此(この)木(き)にかヽりありなと。
三股(こ)のためしにも伝へいふともきこへたり。本尊御長
四尺座(ざ)像なり。右に鎮守(ちんしゆ)熊野(くまの)三所(しよ)権現弁(へん)才天
地蔵堂あり。左に仏木大師(し)堂。鐘楼(しゆろう)あり。後(うしろ)

は山にて椎(しい)松のごとき諸(しよ)木茂(しけ)く。前(まへ)は田(てん)
畝(ほ)ひろく。春(はる)は一犁(り)江(こう)上乃雨(あめ)を見。秋は
千畝(ほ)■【コザトヘンに龍】頭(りやうとう)乃雲に対す

源光山明石寺円手院
此寺本尊(ぞん)千手(しゆ)観音(くわんをん)坐(ざ)像長三尺二十八部衆(ぶしゆ)羅
列(られつ)せり。皆(みな)大師(し)の御作。右に鎮守(ちんじゆ)熊野(くまの)十二所(しよ)権
現(けん)并(ならひに)伴社(ばんしや)あり。前(まへ)に二王門傍(かたはら)に籠(こもり)所を構(かま)ふ。
左(ひたり)乃山上に薬師(やくし)堂あり。南の山下に地蔵堂あり。
さし入に白王権現石といふあり。籬(まかき)にかこめたり。
此神石により明石といふかし。村乃名(な)も又これを
よぶ。里俗(りぞく)あげいしといひならへりとなり。
今の領(りやう)せる人は。方袍(はうほう)にて非(あら)す。修元(しゆげん)乃人と
きこゆ

菅生山大宝寺大覚院  浮穴郡
此寺の濫觴(らんしやう)は文武(もんむ)天皇乃御宇(う)大宝(ほう)元年四
月十八日猟師(れうし)山中に入しに岩樹(かんじゆ)撃動(げきどう)して
紫雲(しうん)峯渓(ほうけい)に満(みち)一所より光明(くはうみやう)閃射(せんしや/ひらめく)せり。其所
を認(とむ)るに忽(たちま)ち一仏像(ぞう)あり。即(すなわち)十一面(めん)観音也
生(しやう)ぜる菅(すげ)を班(しき)まします。其所に就(つい)て堂(だう)宇
の事をいとなみ。菅(すげ)を掩(おヽい)安置(あんち)し奉り。其猟
師(れうし)といへるもの。白日に天にのぼれり。是を高
殿(たかとの)明(みやう)神と斎祀(さいし)す。菅(すげ)を班(しき)ましますが故(ゆへ)に菅
生(すがおう)山と号(かう)し。大宝年中の事なるか故(ゆへ)に大宝寺

と称(しやう)す。朝廷(てうてい)に聞達(ふんたつ)し叡信(ゑいしん)ふかく。伽藍(からん)
を造立(ざうりう)し。勅(ちよく)願乃所となれり。本堂豊敞(ほうしやう)
として玉(たま)を彫(ゑり)。堂の縁(ゑん)より両方乃社(やしろ)の拝
殿(はいでん)へ廊(らう)をかけて通(つう)ぜり。左は赤(しやく)山権現次に
天神右ハ三嶋(しま)大明神。耳戸(みヽと)乃明神。阿弥陀堂
文殊(もんじゆ)堂。百々尾(もヽび)権現社(しや)相並(ならべ)り。両方の前(まへ)に池(いけ)
あり各(をの々々)弁才(へんさい)天祠(し)を立。石階(かい)の下に楼(ろう)門二金
剛(がう)を置(をく)。其下に十王堂あり。左右に寺を構(かま)
へたり。寺十二宇あり。さし入に橋(はし)あり川
を御手洗(みたらし)といふ。里(さと)遠(とほ)からねと牛(うし)の声(こゑ)乃聞(きこ)ふ

べくもあらねと頗(すこふ)る阿蘭若(あれんにや)乃佳(か)境風色(ふうしよく)蕭(せう)
條ときこゆ▼弘仁十三年我(わか)大師(し)尋(たつね)入絶(ぜつ)境
を賞歎(しやうたん)し。思ひを凝(とヽ)め。修観(しゆくわん)日を弥(わた)り去(さる)事
を忘(わす)玉ふとなり。猶(なを)是(これ)より山中霊気(れいき)の立
を御覧して分(わけ)入岩巒(がんらん)を踏(ふみ)奥院(をくのいん)をひらき
玉ふ。岩屋(いわや)寺といふ

海岸山岩屋寺  浮穴郡
此寺名(な)にあへる岩(いわ)乃すかた龍(りゆう)蟠(わだかま)り虎(とら)踞(うつくま)る
ごとし。奇怪(きくはい)いふにやハ及ふ。壁立(へきりう)の岩檐(いわのき)の出(いで)さる
やうなる下に堂宇(う)を作り。堂より室(むろ)皆(みな)谷(たに)に
かヽる岩(いわ)をやねとす。竈(かまど)なとハ岩宇(かんう)覆(おほ)へるゆへに
別(べち)にやねをせす▼本堂不動(たう)明王石像(ぜう)大師(し)乃
御作。大師堂へ廊(らう)をかけて通(つう)ぜり。堂の上特起(とつき)
せる岩あり。高さ三丈許(ばかり)。堂の縁(ゑん)より十六のはし
ごをかけてのほる。此はしご大師(し)乃かけ玉ふむかし
のまヽといへり。岩上に仙(せん)人堂を立。像は大師(し)の

御作。法華経(ほけきやう)を持(ぢ)するがゆへに法華(ほつけ)仙人といふ。大
師(し)の時代まて此山に住(ぢう)せしと聞へたり▼其
上に屏風(ひやうぶ)乃やうなる岩(いわ)ほの押入(おしいり)たる所に卒塔
婆(そとは)あり。むかしより二基(き)にて大師(し)二親(しん)の為(ため)に
立(たて)玉ふといふ。一本はいつとなくかたむきありし
が延宝三年四月十三日すぐに立(たち)なをり紙(かみ)かと
見ゆる札(ふだ)付(つき)たり。鳥(とり)なしでハかよはざる所なれは
いかなる人もあやしみあへり。同十年大風吹(ふき)て
其一基は見へずなんぬ。とは一本あり
其下に塔(たう)あり仙人乃舎利塔(しやりたう)といふ

不動堂乃上の岩窟(かんくつ)をのづから厨子(ずし)のやうに
ミゆる所に仏像あり長四尺あまり銅(とう)像なり
手(て)に征鼓(せうご)を持(もつ)。是を阿弥陀といふ。凡(およ)そ仏は円(ゑん)
応(おう)無(む)方なるといふとも。諸仏乃顕現(けんげん)。四種(しゆ)乃身
相(さう)経軋(きやうき)に出(いで)て伝持(てんぢ)わたくしならず。故(かヽるゆへ)に今(いま)
乃仏(あみた)をあやしむ人あり。むべなりておぼゆ。いつ
の比の飛来(とびきた)るがゆへに飛来(ひらい)乃仏といふ。其近(ちか)き
ほとり仙人窟(くつ)といふあり。彼(かの)仙(せん)尸解(しかい)乃所といへり
▼此(これ)より奥(おく)に至(いた)りてせりわりといふ岩途(かんと)あり
白山(はくさん)権現作(つく)り玉ふといふ。高さ二十間ばかりそれより

上(うえ)に又奇挺(きてい)せる嶮岩(けんかん)あり。高さ三十尺ばかり
なり。二十一乃はしごをかけてのぼる其上より白
山権現の社(やしろ)鉄(てつ)にて作れり▼其右に峙(そばた)つ岩頭(がんとう)
に別(べつ)山社(しや)。次(つき)の岩頭(がんとう)に高祖(かうそ)権現社(しや)。是(これ)より相去(さり)
勝手(かつて)。子守(こもり)。金峯(きんぷ)。大那智(なち)。等(とう)乃諸神社(じんしや)所に従(したか)
ひ相立(たつ)▼凡(およ)そ此乃事めに見るはきくに
おとれるためしなれども。此山ハきヽしよりもはる
かに奇絶(きぜつ)ときこゆ。峻極(しゆんきよく)嘉祥(しやう)乃状(かたち)。人神壮麗(れい)
の美(び)。冥奥(めいおう)幽■【シンニョウに向】(ゆうきやう)にして。魑魅(み)の途(みち)を経(へ)。無尽の
境に入(いり)。寔(まこと)に世を遺(わす)れ。粒(いしつぶ)を絶(さり)。芝茎(しけい)を茹(くらふ)

人にあらずは軽(かろ)く挙(あがつ)てなんぞこヽにをち
んや。其遠(とを)く寄(よせ)。はるかに捜(さぐ)り。信(しん)に篤(あつ)く
神(しん)に通(つう)ぜる人にあらずはなんぞよくするに
至(いた)らん。我大師(し)乃神(しん)妙又しりぬへし
山号(がう)を海岸(かいがん)といふ大師(し)の御歌に
 山高き谷の朝霧(あさきり)海(うみ)に似(に)て松ふく風を浪(なみ)にたとへん

医(い)王山養珠(やうしゆ)院浄瑠璃(るり)寺  浮穴郡
当寺本尊薬師(やくし)如来。日月光十二神囲饒(いねう)せ
り。鎮守(ちんじゆ)牛頭(ごづ)天王なり。左に寺を構(かま)ふ。山
遠(とを)からず。松風(しやうふう)窓(まど)にかよへり。左右竹藪(さう)ふか
し。前(まへ)石階(かい)二堂(だう)にたヽめり。本堂のやう。常(つね)
に異(こと)なり。門さきニ川(かわ)横(よこ)たハる。水昼夜(ちうや)を
捨(すて)ず。されはむかしの水なく。世も苒々(ぜん々々)とし
て。人あらたなり。むかし乃事のしれざる所以(ゆへ)
なり。此寺興廃(こうはい)しらずおしむへし

熊谷山妙見院八坂寺  浮穴郡八坂村
当寺本堂阿弥陀如来恵心(ゑしん)の作也といふ。是
を以てこれをおもふに。此寺廃毀(はいき)する事
そのかみにあり。今大師(し)の遺烈(いれつ)きこゆること
なし。恵心(ゑしん)乃僧都(そうづ)は大師(し)の後(のち)およそ二百年
に及へり。むかしの本尊は烏有(うゆう)となれるに
や。今尚(なを)法義(ぎ)おとろへたりときこゆ。古堂(こだう)
清風(ふう)冷(すさま)しく僻砌(へきせい)蔓(まん)草緑(みどり)なり

清涼山安養院西林寺  浮穴郡高井村
此寺本尊(ぞん)観音(十一面)立像長三尺。鎮守(ちんじゆ)は三
所(しよ)権現(ごんげん)也。寺は前(まへ)に池(いけ)あり。杖(つえ)乃渕(ふち)と名(な)づく
むかし大師(し)此所を御杖(つえ)を以て加持(かぢ)し玉ひけれ
は。水迸騰(ほんとう)して。玉争(たまあらそ)ひ砕(くだ)け。練色(れんしよく)収(おさ)まら
ず。人その端(はし)を測(はか)る事なし

西林山三蔵院浄土寺  久米郡鷹子村
此寺伝へいふ孝謙(かうけん)天皇(わう)の勅願(ちよくぐわん)なりと。■【ヤネに小ヽ】(しか)しより
四百あまりの星霜(せいざう)をへて。堂宇荒涼(くはうりやう)せる
時(とき)。頼朝(よりとも)公(こう)聞(きヽ)て再興(さいこう)あり。其後(のち)郡司(ぐんし)河野(かうの)氏(うじ)
脩飾(しゆじき)を加(くわ)へ。代々に及へり。其境内(けいだい)八町四方を
限(かぎ)り。伽藍(からん)檐(のき)を接(まじ)へ。法談(ほうだん)虚(きよ)日なく。郡(ぐん)司景(かう)
敬して。重科(じうくは)違犯(いぼん)乃輩(ともから)といふとも。当寺の領(りやう)へ入(いり)ぬ
者(もの)は赦免(しやめん)あるへきよし。照(しやう)文ありとかや▼空也(くうや)上人
聖光(せいうくはう)上人乃影(ゑい)あり此聖光は浄土門乃名(な)ある人也
其門流(りう)なと住居(きよ)せる事ありて此像を置(をく)ならし

東山瑠璃光院繁多寺  温泉郡畑寺村
此寺孝謙(かうけん)天皇の御願乃地といへり。むかし伽
藍(けらん)甍(いらか)をならべ。坊舎(しや)三十六宇(う)ありて。龍(りう)象林(りん)
をなし。禅講(ぜんかう)席(せき)さめずとなん。中興(こう)乃住持(じうぢ)に
聞(もん)月といふ人あり。弘安(こうあん)の比(ころ)滅(めつ)せり。是より四百
の年所を歴(へ)。物は時と移(うつ)り。事は人とかはり
今はむかしに似(に)すなんぬ。寛文の発(はしめ)より
龍狐(こ)といふ比丘(びく)本願(ぐわん)として。堂舎(たうじや)おほく脩復(しゆふく)
せり。其(その)制(せい)廣(ひろ)からずといへとも。心清(きよ)くしつらひ
みがきなせり。本より本堂の本尊薬師(やくし)如

来行基(きやうぎ)ぼさつ乃作なり。護摩堂(ごまたう)の本尊
不動(ふとう)尊伝教(でんけう)大師(し)乃作なり。堂の左に鎮守(ちんしゆ)
熊野(くまの)権現あり。後(うしろ)に求聞持堂(ぐもんぢたう)あり。さし入に
二王門国司(こくし)より建立(こんりう)せられしとや。二王は運慶(うんけい)
作。長(たけ)九尺五寸。門乃内に池あり此中に弁才(べんざい)天
祠(し)あり▼境内(けいだい)四町余(よ)前(まへ)は海(うみ)を眺望(てうぼう)し
左は沃野(よくや)廣(ひろ)し後(うしろ)は山林繁茂(はんも)せり
▼此寺頼朝(よりとも)公(こう)乃供給(くきう)あれしとかや(聞月より二百余年以前なり)▼村
乃名を畑(はた)寺といふ即(すなはち)繁多と同しかるへし

熊野山石手寺  温泉郡
此寺あたりにさらなき伽藍(がらん)にて宝甍(ほうもう)
珠殿(しゆてん)。■【キヘンに茆】(うのは)乃ことく比(なら)び。疏柱(そちう)の■【サンズイに日だが、「汨ベキ」ではなく、日が短い】越(いつゑつ)を羅(つらね)て。
■【王に壊のツクリ/瑰】■【王に比】(くわいひ)乃琳琅(りんろう)を垂(たれ)とかや。其草創(ざう)は元明(けんみやう)
天皇の御宇此州(くに)乃大領(りやう)玉奥(おき)といひし人。和
銅(わどう)五壬子年二月申辰日白山権現を勧請
すと。旧記にありとなん。白山権現は養
老(やうらう)元年越(をち)乃泰澄(たいちやう)彼(か)山にのぼり。持念(ちねん)して
はしめて応験(おふけん)あり。これに先(さき)たつ事
あやしまさる事を得(ゑ)す。▼聖武(む)天皇(わう)神

亀(じんき)五戊辰乃年勅(ちよく)して伽藍(からん)を立。州(くに)の大領(りやう)
玉純(すみ)天平元己巳年三月八日薬師(やくし)如来の像を作
安置(ち)し行基(ぎやうき)ぼさつを請(しやう)じて開眼(かいけん)供養(くやう)す
▼孝謙(かうけん)天皇勝宝(しやうほう)七乙未年三門并(ならび)に東西の惣
門韋駄(いだ)天宮(くう)を立。又勅(ちよく)して大般若経(はんにやきやう)を賜(たまは)る
▼此間此寺法相宗(ほつしやうしう)なりしを。嵯峨(さがの)天皇ノ御宇(きよう)
弘(こう)仁年中あらためて。真言弘通(ぐづう)の道場(じやう)と
なる。時の住持(ぢ)を良賢(りやうげん)といひしと▼其比
当国浮穴郡花原乃邑(さと)に右衛門三郎といふ人
あり。四国にをいて冨貴(ふうき)の声聞(せいぶん)あり。貪欲(とんよく)無(ぶ)

道にして。神仏に背(そむ)けり。男子(なんし)八人ありしに
八日に八人なから頓死(とんし)す(異説もあり)是より発心(ほつしん)し
神仏に帰(き)し。家(いゑ)を捨(すて)。霊区(れいく)霊(れい)像を遍礼(へんろ)せり。
阿州(あしう)焼山(しやうざん)寺乃麓(ふもと)にて恙(つヽか)を抱(いだき)て死(し)に臨(のぞ)めり
時に我大師(し)こヽに至(いた)り玉ひて。発(ほつ)心修行(しゆぎやう)の事
を歎(たん)じ。汝(なんじ)当来(たうらい)乃願(ねが)ひいかヽととハせ玉へは。この
国にて河野(かはの)氏(うぢ)に勝(すぐ)れる人なし。われ彼(かれ)が子(こ)に生(むま)
れん事を欲(ほつ)すとそいひける。大師(し)小石(こいし)に右衛門
三郎と名(な)を書付(かきつけ)にぎりしめ玉ふ。既(すで)に命(いのち)を
ハりて其所に葬(ほうむ)る。いまに其塚(つか)あり。扨(さて)月日を

へて国司(こくし)河野氏の男子に生(むま)る彼(かの)石を左乃
手に握(にぎ)れり。右衛門三郎か後身(こしん)なる事人ミな
しれり。其名(な)を息方(をきかた)と号(かう)す。羊■【シメスヘンに古】(やうこ)円沢(ゑんたく)のた
めしよりも正(たヽ【濁点】)し。此(この)息方当社(しや)権現を崇(さう)敬し。
神殿(でん)拝殿(はいでん)再興(さいこう)し。手(て)に握(にぎ)る所の石を宝殿(ほうでん)
に納めて。後世に伝(つた)ふ。又熊野(くまの)十二所権現を
勧請(くはんじやう)す。此時まては安養寺(あんやうじ)と称(しやう)しけるを
熊野(くまの)山石手(いして)寺と改(あらた)むとなん。此時花原(はなはら)の
一郷(さと)を供費(くひ)に充(あて)。山林境内(けいたい)廣(ひろ)く割(さき)附(ふ)せり
其時寺六十六宇(う)ありて雲煙(ゑん)相連(つらな)れりと

村上天皇ノ天徳二年令旨(れいじ)を賜(たまはり)。伝法(てんはう)灌(くわん)頂修(しゆ)行
などの事あり。(書付(かきつけ)解(け)せす故に要を取)▼源ノ頼義(よりよし)北条(ほうてう)
親経(ちかつね)に命(めい)して。伽藍(からん)再興(さいこう)あり▼永保二年
夏(なつ)天下大旱(かん)す勅(ちよく)あり当寺にをいて四国中
緇流(しりう)雨を祈(いの)る。其褒賞(ほうしやう)勅額(ちよくがく)并に住持(ぢ)良覚
に権大僧都(さうづ)を賜(たまは)る▼寛治三年堀河(ほりかは)院(いん)
大師(し)乃。御影(みゑい)を賜(たまはる)。北条親経奉(うけたまはり)て影堂(ゑいだう)を立(たつ)。
▼永久二年頼義乃末子(まつし)河野(かはの)冠者(くはんじや)親清(ちかきよ)諸堂(しよたう)
破損(はそん)せるを脩復(しゆふく)せり▼治承元年高倉(くら)院ノ
宣(せん)にて唐(たう)本ノ大般若経(はんにやきやう)一部(ふ)下しをかれぬ。

頼朝(よりとも)公(こう)より尊氏(たかうぢ)にいたるまて。将軍家(しやうくんけ)の教文(かうふん)
其外(ほか)河野氏脩復(しゆふく)せる代々其事異(こと)ならざる
もの。悉(こと々々)く繁(しげ)く記(き)せず▼元久元年三月三日権
現の祭礼(さいれい)あり。十二社(しや)影向(ゑくわう)乃ありさまなり。音楽(かく)
を奏(さう)し諸役(しよやく)人供奉(くぶ)し奉り河(かは)氏四郎通信(みちのふ)毎(まい)
月能(のう)をはじむ▼弘安二年河(かは)氏対馬守(つしまのかみ)通
有(みちあり)三嶋(しま)大明神を勧請(くはんじやう)す。本社(しや)拝殿(はいでん)十六王子
祠(し)を作り。九月廿六日祭礼(さいれい)乃式(しき)あり▼河野
氏は孝霊(かうれい)天皇の王子を此国に封(ほう)じ玉ひ小
千王といふより出(いづ)とかや。孝霊(かうれい)の御子(こ)にいつ

れなるにや。知(しる)所なし。是より天正乃間七十
二代相続して。寺も又紹隆(りう)といへり▼
崇(しゆ)徳天皇讃州に移(うつ)らせおハしましける時御しの
ひに此所に臨幸(りんかう)し玉ひ御歌あり三月上
旬(じゆん)とかや
 名(な)にしおはヽ又ときてミん花の春夕かげ残(のこ)る雪のふる寺
此花車(くるま)かへしの桜(さくら)と名(なづ)けて名(めい)木なり。五十八九年以前
枯(かれ)けるが今檗(ひこはへ)出(いて)て。其なごりあり
▼霊宝(れいほう)か色(いろ)々名(な)あるものおほし。録(ろく)し出(いだ)せるもの
悉(こと)く述(のべ)かたし▼橋(はし)乃外に朝義(ともよし)公の石塔(せきたう)あり

【奥付あるはずも欠】

      
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