四国遍礼道指南増補大成
 
十九番・立江寺

 {東向きで、平地に建っている。}橋池山地蔵院と号する。聖武天皇の勅願所だという。本尊の地蔵菩薩像が小さかったので、空海が訪れたとき高さ六尺の像を作って小像を胎内に納めたという。
 詠歌「いつか さて、西の住居の我が立江 求誓の船に乗りて至らん」
 鶴林寺まで三里。立江村を出て、櫛淵村に標石がある。三十町ほど左に逸れると、岩脇村に取星寺がある。空海が加持した星石が残っている。{この寺には空海ゆかりの釣召の星が納められている。青黒色で美しく艶がある。硝子の蓮華座に安置している。ほかにも霊宝が多い。少し回り道になる。同じ村の正安寺には、空海の作った観音像が残っている。大道から五町ほど左に標石が建っている。}ここから二十町ほど行くと、星谷に至る。三間四方ほどもある星の岩屋には、半ばに数丈の瀧が落ち、素晴らしい景色だ。{中津野村の十四五町北、勝浦川を渡ると星谷岩屋寺に着く。広さは十畳ほどで、三角の岩がある。中には輝く鏡石もある。三丈ほどの瀧が落ち、傍らには弁財天の社が鎮座している。取星寺の星は、天から降ってきた石で十丈ばかりの大きさだ。目を驚かす霊場である。必ず立ち寄ってほしい。星谷から鶴林寺奥の院まで三里。途中半里は川端の道を行けば、横瀬村。星谷に拠らず鶴林寺へ直接行くときは、森村を通って十八町の坂を上る。ただし奥の院へ行くときは、森村から二里半。途中に勝浦川がある。森村から羽十五町余り。与川内村の五郎兵衛の家に荷物を置き、奥の院へ向かう。}
 星谷から行くと、坂本村に至る。空海が宿を求めたとき、ひどく霜が降って人々を悩ますと聞き、加持したため、この村には霜が降らなくなった。隣村には、ひどく霜が降る。{空海が訪れたとき、この村には泊まる場所がなく、霜の深い萩野に野宿した。このとき祈って、今に至るまで霜露が降らなくなった。ネタ場所の跡が残っている。また長福寺には古仏が多くある。黄檗村は坂本村とは違い、霜が深いため「際立」と呼ばれるようになった。おかしいことだ。}
 星谷から半里、川端を行くと、横瀬村。星谷に寄らず鶴林寺へ直接行くときは森村を通る。十八町の坂を上ると鶴林寺。奥の院へ駆ける時は、森村から二里半。途中に勝浦川がある。与川内村、坂本村、大窪村を過ぎて少し行くと、灌頂が瀧。ここには不動明王が、たえず示現している。{拝所である。灌頂が瀧は、不動の瀧とも呼ばれている。日に三度、不動明王は五色の雲とともに降臨する。辰巳の時刻には、はっきりと拝むことができる。拝所から八町登って奥の院に至る}
 ○月頂山慈眼寺は瀧から八町登る。鶴林寺の奥の院だという。本堂は、不動明王増{上人の作。}また三町余り西に行くと、堂が建っている。空海が作った十一面観音像を安置している。上には千尺の険しい岩肌が都築、一丈ほどの卒塔婆が立っている。空海が立てたという。人間業が及ぶものではない。傍らには岩屋。過ぎて二十間ほど行けば、人が手を加えずに自然とできた石の仏がある。色々と不思議なことが起こる。{少し登ると岩穴がある。空海が書いたという口に一心の白字。俗に胎内潜りと呼んでいる。入口が細いため薄手の服を着て、案内人がかざす松明を頼りに入る。二十間ほど行くと、自然石の仏や蔓天蓋、金剛杵、諸物、龍などが確かにある。更に十間余り行くと、入口の幅六尺、高さ一丈余りの穴がある。入ると四方の岩に二十畳敷きほどの広さで曼陀羅が彫られている。空海が彫ったものだ。空海が護摩修法や求聞持法を行った内部は三十間余りで、霊威は言葉で表現できない。歌に「天飛ぶや 鶴奥 山奥冴えて 頼む深さや 法に通わん」。荷物を置いた横瀬に戻る。}横瀬に戻り、たなこ【棚野カ】村に向かう。
                          
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